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WNO《ルクレツィア・ボルジア》ジェンナーロ・ハイライト版作成☆☆初演版と改訂版について [ルクレツィア・ボルジア]


iPhone/iPad用 "Madre, se ognor lontano.."
 2008年11月のワシントン・ナショナル・オペラ《ルクレツィア・ボルジア》の録音からジェンナーロ(Vittorio Grigolo)のハイライト版を作ってYouTubeにアップしました。
 YouTubeは、絵がないとアップできませんので、いつも通り、舞台写真を使って動画を作成、日本語とイタリア語字幕もつけました。字幕の切り替えは、自由自在、簡単にできますのでお試しください。

 《ルクレツィア・ボルジア》はそれほど頻繁に上演されるオペラではありませんが、歌ってみたい....歌わせてみたい....ソプラノさんがいると上演するようです。最近ではグルベローヴァが歌ってみたかったようで、バルセロナ(演奏会形式)からはじめて、今年はミュンヘンで上演していますので、私の交流ブログでもご覧になった方がちらほら.......一日だけヴィットリオ・グリゴーロが歌ったので、どんなんかいな....とTV放送の録画を見てみましたが、クリストフ・ロイの《ロベルト・デヴリュー》路線の演出で、全く代わり映えしなくてなんだかね......です。

 横道にそれてしまいましたが、オペラはいろいろな版があって、私のような素人は、混乱することが多いのですが、《ルクレツィア・ボルジア》も1833年の初演版と1840年の再演の時にドニゼッティがフィナーレを書き直した改訂版があります。ところが、最近よく上演されるのが、初演版でも改訂版でもない折衷版とでもいうんでしょうか.....両方全部歌ってしまうのが一般的になっているようです。

 つまり、ドニゼッティは、再演の時に、フィナーレを書き直してジェンナーロが死んで行く場面に"Madre,se ognor lontano"(右上の音声ファイル)というほろりとする悲しい旋律を付け加えて、ルクレツィアはジェンナーロの亡骸を抱きしめて叫んで幕.....ソプラノのフィナーレのアリアはカットしました。しかし、今は、ジェンナーロの歌も初演の時のソプラノのアリア "Era desso il figlio mio (彼は私の息子です...私の希望、慰め....神よ私を罰して下さい) "も歌ってしまうのが一般的になっているようです。ワシントンのもミュンヘンのもジェンナーロが死んだあとにソプラノのアリアがあるバージョンです。

 ドニゼッティはなぜ再演の時に、ソプラノのアリアをカットしたかというと、初演の際にプリマドンナさんに無理矢理書かされたものだったんだそうです。私もソプラノ命ではないので、ジェンナーロの亡骸を抱きしめて、「ああ、死んでしまった!」と叫んで終わりの方がオペラチックでいいと思います。

★全曲試聴したい方は、nprの World of Operaでいつでも聞くことができます。

★解説、あら筋はいつも利用させて頂いているオペラ御殿でどうぞ
LUCREZIA BORGIA(1830)
LUCREZIA BORGIA Versione del 1840 con finale nuovo

参考:
映像では、2002年ミラ・スカラ座の《ルクレツィア・ボルジア》が、デヴィーア、M.アルバレス、バルチェッローナ、ペルトゥージ...という出演者もいいですが、ウーゴ・デ・アナの演出舞台衣裳で魅力的です。マルセロ・アルバレスが、まだ並の体型で顔もジョン・トラヴォルタみたいです。この演奏も、フィナーレはテノールの歌もソプラノのアリアも有るバージョンです。

関連記事:ルクレツィア・ボルジア

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WNO《ルクレツィア・ボルジア》ネットで全曲試聴:Fleming - Grigolo - Raimondi - Aldrich [ルクレツィア・ボルジア]

★プロローグのグリゴーロ=ジェンナーロの部分をアップ(再生リスト)しました。1幕、2幕も順次アップします。日本語とイタリア語の字幕を切り替えて表示できます。お楽しみ下さい。(2009.9.13)

 首を長くして待っていた昨年11月のワシントン・ナショナル・オペラの《ルクレツィア・ボルジア》が全曲ネットで試聴できます。nprのサイト World of Opera で、いつでも聞けます。
 プロローグのルクレツィア・ボルジアとジェンナーロの二重唱の音声ファイルをアップしました。

キャスト:
Renee Fleming ... Lucrezia Borgia
Vittorio Grigolo ............. Gennaro
Kate Aldrich ........... Maffio Orsini
Ruggero Raimondi ..... Alfonso
Grigory Soloviov ..... Gazella
Oleksandr Pushniak .... Petrucci
Jesus Hernandez .... Liverotto
Jose Ortega ....... Vitellozo
Robert Cantrell .... Gubetta
Yingxi Zhang .... Rustighello
David B. Morris ..... Astolfo

Washington National Opera Orchestra,Chorus
Placido Domingo, conductor
John Pasco,Designer and Director

iPhone/iPad用 フレミング&グリゴーロ
ジェンナーロは実の母とも知らずにルクレツィアに身の上話をする

関連記事:WNO《ルクレツィア・ボルジア》

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WNO《ルクレツィア・ボルジア》出演者の写真&カーテンコールのビデオクリップ  [ルクレツィア・ボルジア]

◎7月11日オランジュ音楽祭《椿姫》France2でTV放送決定!した模様(2009.6.17追記)


  ↑写真をクリックするとビデオクリップにリンク
  ←WNOパーティー

 左上の写真は、WNOのパンプレットに掲載されている写真の中の一つです。昨年11月ワシントン・ナショナル・オペラで大評判だった《ルクレツィア・ボルジア》の関係者たちのパーティーで、ライモンディとグリゴーロが写っているということで同好の方がくださいました。私にとっては、二人が一緒に写っているというとても嬉しい写真です。

右上の写真は、《ルクレツィア・ボルジア》のカーテンコールの様子です。 YouTubeにアップされていたものですが、グリゴーロがシャツを脱いでいない日のものです。この公演を見に行った、ライモンディファンの報告でも、「今日は、グリゴーロがタンクトップを着たままだった....公演後の『アーティストQ&A』も欠席だったので、体調を気づかったんだろう....」というような報告がありました。YouTubeの動画は、早くて見づらいので、グリゴーロの部分だけカットして、ちょっとゆっくりめに作り直してみました。写真をクリックするとビデオクリップにリンクしています。

関連記事:[ルクレツィア・ボルジア]

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グルベローヴァの《ルクレツィア・ボルジア》に急な代役:グリゴーロのジェンナーロ [ルクレツィア・ボルジア]

★グリゴーロのHPのゲストブックに「ありがとう!」メッセージが掲載されました。(02/03/2009 07:59)

★レポートが出ました。『すばらしいテノール、しかも最高水準の声による、様式破壊だ』.....記事に追記しました。(2009.3.2)

★ミュンヘンの篠の風様のブログ"Mein zweiter Blog"に28日の公演の様子が書かれています。とても盛り上がったいい公演だったそうです。(追記)


iPhone/iPad用mp3

iPhone/iPad用mp3
♪テンポが違い過ぎ....WNOはドミンゴ指揮でした。レビューでも好評でしたよ。
 今、バイエルン国立(州立)歌劇場では、グルベローヴァ主演の《ルクレツィア・ボルジア》を上演中だそうですが、ジェンナーロ役のパヴォウ・ブレスリク(Pavol Breslik 1979年生)の代役で、急遽28日だけ、ヴィットリオ・グリゴーロが出演することになりました。クリストフ・ロイの演出ですから写真を見れば分かりますが、あの《ロベルト・デヴリュー》路線の演出のようです。

★2009.2.28のキャスト
指揮者: Bertrand de Billy
演出: Christof Loy
舞台: Henrik Ahr
衣裳: Barbara Drosihn
振付 :Thomas Wilhelm
照明: Joachim Klein
合唱: Andrés Máspero

Don Alfonso: Franco Vassallo
Donna Lucrezia Borgia: Edita Gruberova
Gennaro: Vittorio Grigòlo
Maffio Orsini :Alice Coote
Jeppo Liverotto: Bruno Ribeiro
Don Aposto: Gazella Christian Rieger
Ascanio Petrucci :Christopher Magiera
Gubetta: Steven Humes
Oloferno Vitellozzo: Erik Årman
Rustighello: Emanuele D'Aguanno
Astolfo :Christian Van Horn

The Bavarian State Orchestra
The Chorus of the Bavarian State Opera
(公演日程:2月23,28, 3月5,10,15日)

 2月23日のプレミエは、ライヴ放送されましたので、ジェンナーロの1幕の部分の音声ファイルをアップします。グリゴーロのジェンナーロは非常に好評でしたので、WNOの放送を首を長くして待っているんですが、まだなので、ほんのちょっとしかないのが残念です。それに合わせて、パヴォウ・ブレスリクのもちょっとだけです。若くて見栄えのいいジェンナーロはめったにいませんので、比較してみたくなります.....グルベローヴァがはじめてルクレツィア・ボルジアを歌った時のジェンナーロは、ホセ・ブロスだったんですが、ずいぶんタイプが違うジェンナーロじゃないですか。

 ブレスリクはグリゴーロより2才年下ですので、今後のレパートリーはどのような方向で行くのか分かりませんが、今のところ、モーツァルト歌手なんでしょうか....若くて容姿も良くて有望な歌手であることは間違いないのでしょうが、私は、けっこう前から、なんとなく放送とかで見聞きしていますが、まあ、特別な何かを感じるには至りませんでした。

 上のブレスリクのジェンナーロの上半身裸ですが、これは、1幕としか思えませんが、なぜシャツを脱いでるんでしょう.....グリゴーロのジェンナーロは、毒を盛られて死ぬ場面で上半身裸でした。グリゴーロの方が、身体がひきしまっていますね。ブレスリクはお腹のあたりが、グリゴーロのような「スポーツマン的外見」とは言えない.....。グリゴーロは、筋トレはしてないそうですが、オペラに出演していないときは、スポーツにいそしんでいるんでしょうね.....

 そういえば、パヴォウ・ブレスリクの《イドメネオ》もありました。この記事で紹介しています。変な演出でいただけませんでした。レパートリー的にはライナー・トロストと似たタイプですね。


★レポート:Düsterer Triumph – Edita Gruberova in Christof Loys Münchner „Lucrezia Borgia“
彼女(グルベローヴァ)がこのように絶好調でありえたということは、共演者もまた負けていられなかったわけだ。いやらしい夫ドン・アルフォンソ役Franco Vassalloはバリトンらしい威厳と品格があり、Alice Cooteは完璧でない部分がちょっとだけあったけど、豊かなメゾだったし、Vittorio Grigòloは非常に熱いジェンナーロだった。この役は確かにプッチーニの英雄的なテノールと時に混同されるようで、ついにはヴェリズモ的泣きをもおそれなかった。すなわち、すばらしいテノール、しかも最高水準の声による、様式破壊だ。
純粋主義者に誉められるより、一般の観客を沸かせることの方が難しいと思います。「すばらしいテノール、最高水準の声による、様式破壊」....これはグリゴーロの意図するところで、最高の褒め言葉だと思います。
ミュンヘンの篠の風様のブログ"Mein zweiter Blog"にも「プレミエより....今夜の観衆は彼のせいばかりでもないだろうが終始凄い湧きようで....」という記事がありました。篠の風様からは「彼は追いかける価値のある歌手だと思います。」という嬉しいコメントをもらいました。なにしろオペラのプロで、数々のソリストに接していらっしゃる方ですから。
やっぱり、グリゴーロは、共演者にもいい影響を与えるんですね。グリゴーロのゲストブックとフォーラムにも、ご覧になった方の「素晴しかった...」というコメントが寄せられています。どうやら一晩でミュンヘンの観客の心をつかんだようです。


関連記事:
ワシントン・ナショナル・オペラ《ルクレツィア・ボルジア》全記事
WNO《ルクレツィア・ボルジア》舞台写真:グリゴーロのフォト・ギャラリーより転載写真

《イドメネオ》アルバーチェ:ミョン・フン指揮☆超難しげなアリア MP3

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演劇的センスの良さと衝撃的歌唱:WNO《ルクレツィア・ボルジア》オペラ雑誌のレビュー [ルクレツィア・ボルジア]

★ここで取り上げた雑誌のレビューを書いたティム・スミス氏は、ボルチモア・サンとオペラ・ニュースにも投稿していました。比較するとなかなか面白いので、本文中に追記しました。(2009.2.16)

 2008年11月1〜17日のワシントン・ナショナルオペラの《ルクレツィア・ボルジア》は公演中に、次々たくさん評論が出ましたが、今回はオペラ雑誌(イギリス)のレビューです。ヴィットリオ・グリゴーロのジェンナーロの部分を抜粋します。
 『ジェンナーロ役のヴィットリオ・グリゴーロも、彼は彼なりに独特のスター性を発散していた。ヘアスプレーでぴんぴんの金髪にして、身体にぴったり合ったぴちぴちのディスコにふさわしいヴィンテージ物の、"Are You Being Served?" のすごく狂ったエピソードにでてくるハンフリーズ氏が見せびらかしていたものを彷彿とさせる衣装に身を包んだ、若いイタリア人テノールは、すばらしいセンスの良さでこの役を生き生きと描き出した。グリゴーロの声は"ping"がすごく効いていて、パワーがあふれている。しかし、数年前(2007年9月)に、この劇場で歌ったロドルフォのときと同様、彼の歌唱は、彼の発声の限界を超えているように感じる。この歌唱の電気ショックのような衝撃を楽しむのは簡単だが、支払われる犠牲について心配せずにはいられない。微妙な強弱感が比較的希薄なのももうひとつ気になるところだ。』

 筆者は、「発声の限界を超えているように感じる」とか「支払われる犠牲について心配せずにはいられない」とか言ってますが、これは、不覚にもグリゴーロの歌唱に惹き込まれて、ついつい楽しんでしまったのが、こけんにかかわるとでも思っているようなかんじですね。こんなに全力で歌っていると長持ちしないぞ....というのは、評論家の常套句ですが、これは、「素晴しい、感動した...」ということの裏返しではないかと思います。ますます聞きたくなりました。早く放送して下さい。
WNO,ドニゼッティ作曲《ルクレツィア・ボルジア》新演出 2008年11月1〜17日 全7公演
Plácido Domingo指揮,John Pascoe演出,Renée Fleming,Vittorio Grigolo,Ruggero Raimondi,Kate Aldrich

★追記(2009.2.16午後2時)
ティム・スミス氏は、オペラ評論家として、かなり活躍されている方のようで、WNO《ルクレツィア・ボルジア》に関しては、1紙と2誌にレビューを掲載しています。

ボルチモアサン(Tim Smith on November 2, 2008 10:23 PM )
悪名高いボルジアの息子であることを悲劇的な状況で知ることになる若者、ジェンナーロは、きゃしゃなグリゴーロが非常に生き生きと演じた。グリゴーロの歌唱には、もう少し微妙な音色がほしいところだが、刺激的な切迫感があった。このテノールは間違いなく「スター性」がある。

★メトの関連雑誌 Opera News(February 2009 , vol 73 , no.8)
フレミングは、ルクレチアが捨てた息子ジェンナーロ役のヴィットリオ・グリゴーロとの場面で、内面的な苦悩を効果的に伝えた。損な役回りの弱々しいテノールの役は、まさしく「スター性」そのものというべき躍動感あふれる非凡な演奏によって、正反対のものへと変わった。グリゴーロの輝かしく、響き渡る、大衆受けする声はこのオペラに大きな衝撃を与えた。彼の歌唱は、もっと強い強弱感と抑揚(ニュアンス)があれば、感銘度は倍増するだろう。

★イギリスのオペラ雑誌"Opera Now":今回取り上げたレビュー

 ティム・スミス氏は、今までいるのかいないのか分らないようなジェンナーロしか見たり、聞いたりしたことがなくて、グリゴーロのジェンナーロには演技、歌唱共に衝撃を受け、久々のスター性のあるテノールの出現を喜んでいることは明らかです。しかし、「もう少し、強弱感やニュアンスが欲しい...」ととってつけたような文章は矛盾していると思います。評論家として、ちょっとは批判しなくては...という評論家根性なのかもしれません。
 また、イギリスのオペラ雑誌にだけ、「心配性」というか「大きなお世話」の記述がありますが、これは、イギリスを意識しての評論ということでしょうか。そんな気がします。
 テノールというのは自然な声ではないわけで、「犠牲」を払って歌っているからこそ、そこに感激感動、惹かれるものがあるのだと思います。用心して歌っている歌唱は、何の魅力もなく、たいくつなだけです。声にとって、舞台の外での用心=節制は必要ですけど、舞台上では、長持ちさせて、細く長く稼ごうなんて考えている歌手の歌なんか聞きたくもないです。
 グリゴーロ自身も、30才そこそこの若さで、「 自分が歌うことを止める日はその時になれば判る。 オペラでは、声の調子は毎月、或いは突如変わる。」と語っています。

※ティム・スミス氏のグリゴーロのロドルフォ評はどんなものだったのでしょうか。
『クロスオーバーでも大いに前途有望、高い市場価値に生まれついた、イタリア人テノール、ヴィットリオ・グリゴーロは、9月17日、ケネディセンターオペラハウスで、その演技力と声の浸透力の両方で、最高の感銘をもたらした。彼の演じる愛すべきロドルフォは、激しさと傷つきやすさを兼ね備えていた。その声は、楽々とではないにしても、プッチーニの旋律線のうねりにしっかりと乗っていた。 "Che gelida manina" はデリケートなニュアンスにあふれていて、ものすごく新鮮に響いた。』



以下全文:
オペラ界ではまだスター性というものがけっこう重要な意味を持っている。そして、少なくとも合衆国では、ルネ・フレミングが最高のスターだ。ワシントン・ナショナル・オペラはこのソプラノの、彼女用に制作されたドニゼッティのルクレチア・ボルジアの刺激的な新演出での、この劇場へのデビューによって、チケットの売り上げを多いに伸ばし、ほくほくだった。11月1日、ケネディ・センターで、フレミングは、つややかな輝かしい響きと官能的なフレージングと情緒的な激しさのタイトルロールだった。時おり技術的な不安定さがあったが、特に低音域の豊かさが優れている、彼女の歌唱に、大きな悪影響を与えるものではなかった。フレミングは装飾音は抑制し控えめにした。この役で十年前にスカラ座にデビューして、天井桟敷から手ひどい扱いを受けたときに試みたように、より高い音へあえて飛ぶというようなことは全くしなかった。ルクレチアの優しく母性的側面を強調する役作りが効果的だったが、演出兼装置のジョン・パスコーが彼女のために制作したサドの女王のような徴発的な衣装のフィナーレとは合わなかった。

 ジェンナーロ役のヴィットリオ・グリゴーロも、彼は彼なりに独特のスター性を発散していた。ヘアスプレーでぴんぴんの金髪にして、身体にぴったり合ったぴちぴちのディスコにふさわしいヴィンテージ物の、"Are You Being Served?" のすごく狂ったエピソードにでてくるハンフリーズ氏が見せびらかしていたものを彷彿とさせる衣装に身を包んだ、若いイタリア人テノールは、すばらしいセンスの良さでこの役を生き生きと描き出した。グリゴーロの声は"ping"がすごく効いていて、パワーがあふれている。しかし、数年前にこの劇場で歌ったロドルフォのときと同様、彼の歌唱は、彼の発声の限界を超えているように感じる。この歌唱の電気ショックのような衝撃を楽しむのは簡単だが、支払われる犠牲について心配せずにはいられない。微妙な強弱感が比較的希薄なのももうひとつ気になるところだ。

 ルッジェーロ・ライモンディはアルフォンソ役にベテランの技を提供して、明瞭な人物像を創造した。(文字通り、怒ってルクレチアを容赦しなかった)声は力がなく集中力に欠けるし、高音はちょっとすりへっている感じだが、これらは、演奏スタイルのありあまるほどのすばらしさによって、大きな欠点とはなっていない。

 ケイト・オルドリッチのオルシーニは規模の大きなりりしい声とニュアンスのある美しい所作によって観客を興奮させた。乾杯の歌を魅力的に歌いあげ、"Onde a lei ti mostri grato"は特別に豊かな陰影を醸した。

 脇役のなかでは、ロバート・カントレル(グベッタ)とYingxi Zhang(ルスティゲッロ) があざやかだった。合唱とオーケストラは概して安定していた。プラシド・ドミンゴは正確さよりも情熱が勝った指揮をした。

 パスコーの演出は彼のどっしりした装置の中で、物事をスムーズに動かした。一部の衣装は少々目障りだったが、この演出は確かに見るべきものがあった。そして、またこの演出は、若いが一人前の男のあからさまな肉体関係を伴う色恋沙汰として見せつけられるジェンナーロとオルシーニの友情が、ゲイ感覚の好奇心をそそる説得力のあるものだった。(2009年3月:Tim Smith)


関連記事:WNO《ルクレツィア・ボルジア》
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WNO《ルクレツィア・ボルジア》プロローグのストレッタ・フィナーレのMP3 [ルクレツィア・ボルジア]


(上の写真はフレミングですが、MP3は、ラドヴァノフスキー)
WNOで上演された《ルクレツィア・ボルジア》、なかなか放送されませんが、プロローグの最終場面、4分間程度の音声ファイルを見つけました。上の写真をクリックするとリンクしています。グリゴーロのジェンナーロは、短いフレーズばかりなのに、声だけでも本当に目立ってます。このMP3の説明に『若いテノール、グリゴーロは素晴しい声で、確かにワクワクぞくぞくさせる歌唱だ。』とのコメントがあります。
("premiereopera's Podcast"って、あのプレミエオペラさんがやってるのかしら......)
※参考:楽譜左サイドの"Stretta-Finale del Prologo Maffio Orsini, signora, son io"をクリック

場面としては、ルクレツィアは、ジェンナーロの身の上話を聞き、自分の息子であることに気づくが、自分が母であることは名乗らずに、母への思いを大切に....と...そこにジェンナーロの友人たちが戻って来る。ルクレツィアは、慌てて仮面をつけ、皆がボルジア家の者だと気付く前に立ち去ろうとする。
ここからMP3......"Maffio Orsini, signora, son io "
ところが、いち早く気付いたオルシーニは、「シニョーラ、マッフィオ・オルシーニですよ。あなたに兄弟を殺された....」 続いて他の仲間たちも、「伯父や甥たちを、また従兄を殺された」と彼女を非難し始める。ルクレツィアはジェンナーロに「彼らのいうことを聞かないで....」と懇願するが、ジェンナーロは、「あなたはいったい誰....」と尋ねつづける.....ついに、オルシーニやその友人たちが、「ボルジアだ!」と明かす。
★11月17日最終公演のレビュー:The Donizetti Revival, Second Stage: Radvanovsky, Grigolo in Pascoe’s WNO “Lucrezia Borgia”

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オペラ的向こう見ずないたずら あるいは オペラは元気一杯!:WNO《ルクレツィア・ボルジア》 [ルクレツィア・ボルジア]

 かなり面白いレビューです。あぁ〜、ますます見られないのが悔しい!こういうのをTV放送しなくちゃだめでしょう....メトロポリタン歌劇場のゲルプ氏が見に来ていたそうですが、万一、メトで再演するにしても、ジェンナーロがグリゴーロじゃなければ、似て非なるものになってしまうでしょうね。

 『ルネ・フレミングは、ジョン・パスコが彼女のために制作した視覚的に贅をつくした「ルクレチア・ボルジア」で遅すぎたワシントンナショナルオペラデビューを果たした。フレミングはサンドラ・ラドヴァノフスキと交代で歌った。ラドヴァノフスキのほうが地元での論評はかなりよかった。
 アラーニャの「アイーダ」同様、フレミングもミラノ人のブーイングを悪魔払いする必要があったのは明らかだ。1998のスカラ座での彼女の試練は、いつもながら政治的な要素と芸術的な要素が結合した結果だった。ワシントンの観客の暖かい反応を得て、どんなに彼女が真剣に取り組んでも、彼女の声にも性格にも合っていないこの役とついに心置きなく決別することができるだろう。

 激しく燃え上がる復讐心や大貴族的所作は所詮フレミングが持ち合わせていないものだ。だから、パスコは、ルクレチアを男性社会の暴力の犠牲者として描いたので、全体的にユーゴやドニゼッティが意図したものより、穏健な描写となっている。
 実際11月11日に、フレミングは、柔らかいパッセージで相当の芸術的妙技と声の魅力に加えて、驚嘆すべきトリルをきかせた。レチタティーヴォを除いて、彼女のいつもの癖である「サラ・ヴォーン」的リズムをだいぶ抑制していた。しかし、この作品とは相容れない響きを示した。
 生の胸声と鋭い高音は劇的効果を高めるが、彼女のはドニゼッティのものではない。彼女のもっとも魅力的で適切な歌唱は一幕フィナーレのジェンナーロとの二重唱(写真右)だった。彼女は、いくつかの恐ろしい、意欲過剰のカデンツァはともかくとして、この最後の場面にとても真摯に取り組んだ。

 ヴィットリオ・グリゴーロは観客のお気に入りになった。美しく抒情的な声と歓迎すべき明瞭な発声。時にははやってパッセージを歌い急ぐというか、つまりやりすぎ。パスコは時代の男っぽさを強調したかったので、バック・ロジャースを連想させるぴちぴちの金色のパンツ姿や上半身裸のジェンナーロを登場させて、このイタリア人テノールのスポーツマン的外見を最大限利用した。
 パスコは、ジェンナーロとオルシーニを恋人同士にしたが、十分にそれらしかった。大いにいちゃついたし、その上、美しいズボン役のメゾがオルシーニ(写真左)を演じたから、混乱した観客もいた。グリゴーロは毒で死ぬ人間を非常に生々しく演じてみせた。あんなのは初めて見た。笑いを引き起こしかねないぎりぎりでとどまった。大胆だねぇ・・(七転八倒したのかしら...みたかった....)

 ライモンディはアルフォンソを劇的に力強く的確にやった。ライモンディとグリゴーロは朗唱的レシタティーヴォの扱い方の手本を示した。フレミングはその手本に注意深く従ったようだった。ライモンディは時に67歳のベテランらしい声に聞こえた。すなわち、しまりがなく、多少平板だった。しかし、大方の部分で、彼の半分の年齢のバスの名誉ともなるような明瞭さと力強さを見せた。

 オルドリッチの持つ声の大きさを超える役にしては、彼女の優雅なオルシーニはよかった。低音域では多少こもって聞こえにくいところがあった。また、ことばを軽視していた。中国人テノールYingxi Zhang (Rustighello)は明瞭でよく通るリリックな声で、巧く歌った。』 DAVID SHENGOLD 2008.12.4

関連記事:ワシントン・ナショナル・オペラ《ルクレツァイア・ボルジア》
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WNO《ルクレツィア・ボルジア》舞台写真:グリゴーロのフォト・ギャラリーより転載 [ルクレツィア・ボルジア]

 2008年11月1〜17日 にワシントン・ナショナル・オペラで上演された新演出の 《ルクレツィア・ボルジア》の舞台写真がグリゴーロのホームページにたくさん追加掲載されました。 レビューや感想を読んで、いろいろ想像していましたが、本当にいきいきした素晴しい舞台だったことがよくわかります。
 最後の場面で、ライモンディ扮するアルフォンソ公が、自分の勘違いの嫉妬でルクレツィアを死なせてしまったことを嘆くという演出だったそうですが、ルクレツィアの遺体を抱きかかえて幕....だったんですね。
 "BORGIA"の"B"を蹴っ飛ばしたとか、6フィートくらいある牛の彫像のある台座にひとっ飛びで乗ったというレポートがありましたが、台座に乗って、上から足で"B"を蹴っ飛ばしたってことかしら。しかし、この高さを飛び乗るって体操選手並ですね。
※RRファンの鑑賞レポートを再度読んでみました。一幕でゴンドラがあったところに"BORGIA"の名前とトップには雄牛の彫像が据えられている大きなレンガの台座が出現。ジェンナーロは、台座のトップに飛び上がって、座って、"B"の文字を足で蹴って取り除いた....ということです。

グリゴーロのHPのフォト・ギャラリーから転載:クリック拡大(2008.11.26)



ビデオクリップ

ルクレツィアを母とも知らずに身の上話をするジェンナーロ


↓前に掲載した写真:クリック拡大






関連記事: 《ルクレツィア・ボルジア》関連
←ライモンディファンのところから頂いて来ました。ちょっとピンぼけですが....
若者組(オルドリッチとグリゴーロ)と
年寄り組(ドミンゴとライモンディ)
ルクレツィアはポスターと同じ格好してますね。

グリゴーロのスリーサイズ:バスト104,ウエスト85,ヒップ99
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WNO《ルクレツィア・ボルジア》感想いろいろ:素人さんの言いたい放題 [ルクレツィア・ボルジア]

 11月1日から17日まで7公演、ヴィットリオ・グリゴーロは予定通り全公演出演しました。皆勤賞です。いつものように彼自身のホームページに、皆さん応援ありがとう....メッセージを掲載しています。
 この公演は、ひとえにドミンゴ総裁の人脈のお蔭だと思いますが、アメリカの地方劇場では考えられないような豪華キャスト、演出、衣裳も話題になりまし、特にグリゴーロの八面六臂の活躍ぶりは、ネット上からだけでも伝わって来ました。
 専門家の評論は出揃いましたので、一般観客の感想をまとめて紹介します。専門家のようにかまえてませんから、一般のレポートの方が、言いたい放題みたいな面もありますが、正直で面白いです。皆さんグリゴーロの並外れた才能にノックアウトされたようで、今までこんなテノール見たことも聞いたこともないよ!とその興奮状態が伝わって来るようなレポートです。アメリカの有名オペラフォーラムでも話題になっていましたが、グリゴーロが良かったというメッセージに対して反対コメントは見当たりませんでした。
 私が注目し始めてから、ジュネーヴの《ドン・カルロ》、チューリヒの《ルチア》《椿姫》と快進撃が続いていますが、《ルクレツィア・ボルジア》でも、その勢いはとどまるところを知らず、観客を沸かせたのは間違いないようです。

11月1日と9日 鑑賞  フォーラムから
ジェンナーロ役であり、イタリア人ロックスター兼オペラ歌手ヴィットリオ・グリゴーロに対して、たくさんの新聞記事が書かれた。確かに、彼はものすごくハンサムなだけではなく、舞台で見たなかで、若いころのアダム・クーパー以後、最高にセクシーだ。彼の一挙手一投足はまさにセックスアピールそのものだ。ほんとセックスそのもの。そして、ひどくがっかりさせられることには、彼は歌えるだけでなく、すごくうまく歌うし、そのうえ、抜群の様式感と音楽性を備えている。他のドラマチック・イタリアンテノールと並べれば、その声には、金属的な感じとか、衝撃的な勢いには欠けているかもしれない。だけど、リリックとしては、非常によく訓練されていると思う。呼吸に余裕がある。一幕でのフレミングとの二重唱や三重唱ではどこで息継ぎをしたのかわからなかった。それに、高音をたやすく出すし、そのうえ、まさに人物になりきっている。このような役に選ぶなら、最良の選択肢は、彼とマルタの鷹 The Maltese Falconしかいないね。
すでにジュネーヴでドン・カルロを歌ったが、私としては、彼にとって大きすぎる役や早すぎる役の依頼は断ってほしい。適切にやれば、彼の才能には限りがないと思う。初日の公演で、彼は明らかにシャツを着ていなかった。残念ながら、後の公演ではわからなかったが、すべて順調だったのだろう。
そうそう、見栄えのいい歌手は、それだけで歌はダメと決めつけている不思議なオペラ通がいるんですよ。そういう人たちにとっては、悔しいぃぃぃということでしょうね。

11月1日 鑑賞  フォーラムから
ヴィットリオ・グリゴーロは、すばらしいテノールだ。魅力的なレガートと鳴り響く高音。私にとって、彼はこの公演のスターだった。

11月1日 鑑賞  フォーラムから
若いころのコレッリを思い出した。舌足らずさやイタリア的マンネリズムはないけど。声は強く、高く鳴り響く。背が高くて、スリムで、ワイルドな髪型だった。やってくれるかもって期待してた通り、オペラの終わりに、ぴったりのパンツ(=ズボン)だけになった。途中どこかでシャツを脱いじゃったんだ。男らしくたくましいテノールだけど、高性能の双眼鏡なしで見た限りでは、胸毛はなかった。これ、減点。(笑

11月5,7,9,11日 鑑賞 RRファン
グーグル検索で彼のホームページを見つけて、行ったんだけど、要するに「ポペラ」とかクロスオーバー歌手だと思った。ワシントンオペラが近いうちにアンドレア・ボチェッリを出演させることになっているということからも、グリゴーロがああいう類の歌手じゃないとは思えなかった。でも、友だちの何人かは、グリゴーロを見たことがあって、相当良いと言っていたので、自分も偏見をもたないようにした結果、とっても感動した。彼の声の響きがとっても気にいったし、歌も演技もすごくうまいと思った。でも、カーテンコールでは、オペラ歌手というより、ポップススターみたいに振る舞っていた。
RRファンで、イギリス人です。海外追っかけはRRだけですが、コヴェントガーデンのオペラはほとんど見ているというオペラ通です。

11月15日鑑賞 ブログ
ジェンナーロ役のグリゴーロはどこからみても平凡ではない。インターネットの情報だけだと、何かになりたがっているうっとうしいglamah-boy(肉体的魅力が売りの男の子)として容易に却下だ。だけど、彼が仮想空間でほとんど瞬時に他の追随を許さないほどに繁殖させてしまったgah-gah ファン軍団や、両性具有的なラテンの女たらし的外見、洗濯板みたいな胴、概してすごいクロスオーバーのナンバーなんかは忘れて、彼の本業のほうへ目を向けろ。グリゴーロが単なる31歳のマッチョなゴールデンボーイというだけはなく、ゴールデンヴォイスの持ち主だということがわかるだろう。低音域はブロンズの輝き、中音域は豊かで美しい、そして、最高音はとにかくぞくぞくする。でも、ユーチューブにあがっているのではわからない。声楽に興味があるのなら、すぐに生で聴いて判断しろ。最高のレベルに発展しうるが、一夜にして消えることもありうる声だ。今までに聴いたテノールの中で、グリゴーロのような奇跡的な声を持っていたのは、マリオ・デル・モナコ、ジュセッペ・ディ・ステファノ、そして悲劇のフレデリック・カルト Frederic Kaltの三人だけだ。だが、グリゴーロは彼らになかったものを持っている。すなわち、音楽的知性という点でまさっている。グリゴーロの演技は、未発達と言うべきながら、その、切れのよい動きには引込まれる。あえて言わせてもらえば、カラスがその自然な腕の動きによってもたらしたのと同じようなものだ。
※フレデリック・カルト Frederic Kalt、1962年生まれ、ユタ州ソルトレイク出身のテノール、MS(多発性硬化症)で、輝かしいキャリアを断たれた。1998年2月メトでピンカートンを歌う予定だったが、果たせなかった。
過激で面白いレポートですね。この筆者も、オペラ歌手が見栄えがいいと苦労する、なかなか正当に評価されないことを、ひしひしと感じているのがわかります。

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WNO《ルクレツィア・ボルジア》9日公演終了後の"アーティストQ&A"と7日(ラドヴァノフスキー初日)のレビュー [ルクレツィア・ボルジア]

 11月9日(日)は、マチネーで公演終了後、『アーティストQ&A』が開催されました。出席者は、ドミンゴ、フレミング、ライモンディ、オルドリッチ。フレミングはかなり遅れて現れて、「ごめんなさい、遅れて...髪についた血を洗わなくてはならなかったので....」と。会場(劇場)は、笑いにつつまれたとか.....。
 グリゴーロは欠席だったんですが、フレミングが、彼は気分が良くないので....と言っていたそうです。そのせいかどうかは分かりませんが、その日は、最終場面で、タンクトップを着ていて、最後まで脱がなかったそうです。RRファンで4公演見に行った方の報告ですが、もう一つ考えられるのは、マチネーは、お年寄の観客が多いのでそれを考慮したのかもしれない....とも思うが....ということですが、それなら、フィナーレの血が飛び散る方が問題ですよね。
 アーティスト個人に対する質問もいろいろあったということですので、グリゴーロが出席していたら、きっと面白い質問がいろいろあったんじゃなかと思いますが、残念です。

今後のスケジュールとかレパートリーについてとかの質問以外にどんな質問があったかをざっとご紹介します。
★同じオペラで異なる演出についてどう思うか
ライモンディとフレミングが答えたそうですが、本館のほうの記事に書くつもりです。

★このプロダクションを将来、他の劇場、メトとかで上演する予定はあるのか
はっきり今後メトで上演という回答はなかったようですが、火曜日にゲルブ氏(メトの総支配人)が見に来た......という話があったそうです。

★この公演は、DVDにはならないか
DVDの発売はないが、PBSで放送する予定ですという回答。

11月7日(金)は、ルネ・フレミングとダブルキャストの、右の写真でもわかるようにソンドラ・ラドヴァノフスキーがルクレツィアを歌いました。なかなか好評だったようですが、ワシントン・ポストにレビューが掲載されました。グリゴーロについても言及しています。

★In One Weekend, a Double Dose of Donizetti 2008.11.12(7日の公演について)
 初日のレビューを書いたのと同じAnne Midgetteさんなんですが、グリゴーロに関しては、初日のような感動には至らなかった...ということで、「間違いなくゴージャスな声だが、用心しないと並の歌手になるかも....」と書いています。それと反対にライモンディに関しては、「初日とは打って変わって素晴らしかった.....」そうです。
 初日は大々大絶賛のレビューでしたから、それと比較するとということでしょうが、結局、レビューというものは、日ごろ最高の歌を聞かせる歌手の場合の方が、ちょっとでもそれに及ばないと批判される傾向にあって、どうでもいいようなそこそこの歌手のほうが、批判され難いという現象があるわけです。ライモンディにしても常に彼自身の過去の素晴らしい歌唱と比較されてしまうわけですね。全7公演最高というのはなかなか難しいことだと思いますが、同じ7日に見た観客のレポートでは、グリゴーロ最高!感動した!というものしか見当たりませんでした。お疲れモードだったかどうかは、本人のみぞ知るということでしょう。

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WNO《ルクレツィア・ボルジア》レビューのまとめ+写真一覧 [ルクレツィア・ボルジア]

※RRファンが撮ったカーテンコールの写真追加(11.10)
※フィナンシャルタイムズ(一言コメントで面白くない)とコンサートネット(これは面白い!)(11.8)
※5つ目のレビュー(メトロウィークリー)追記、カーテンコールの写真追加(11.7)
※4つ目のレビュー(ボルチモアサン)が出ました。写真も2枚追加。WNOのニュースレターを甥が転送してくれました。グリゴーロが各紙で評価されているので、宣伝に利用しているようです。(2008.11.5)

★ニューヨーク・タイムズ:Anthony Tomassini 11.2
In a Man’s World, Poison Is Her Best Revenge  概訳
カリスマ性のある演技者、声には、激しく突き抜け、悲哀を喚起する響きがある、ハンサムでエネルギーにあふれ生まれつきの舞台人、歯切れの良い、男っぽい歌唱....

★ワシントン・ポスト :Anne Midgette 11.3
'Lucrezia Borgia': Uneven but Not Uneventful  概訳
声は明るく輝かしく、強く安定しており、刺激的で興奮を呼ぶ。鮮やかに響き渡る金属的な声は最高のイタリアテノール......

★ワシントン・タイムズ:T.L. Ponick 11.3
'Lucrezia' gets her due 概訳(下記)
申し分なく最高! 明瞭な声とくっきりとした響き、声の力、葛藤するジェンナーロをみごとに演じた....

★ボルチモアサン:Tim Smith 11.2 概訳(下記)
Renee Fleming, vibrant cast bow in WNO 'Lucrezia'
ジェンナーロは、きゃしゃなグリゴーロが非常に生き生きと演じた。グリゴーロの歌唱には、もう少し微妙な音色がほしいところだが、刺激的な切迫感があった。このテノールは間違いなく「スター性」がある。

★メトロウィークリー:Kate Wingfield 11.6
Lady Killer 概訳(下記)
力強い男らしさと、傷つきやすい繊細さのバランスがよくとれていた。それに加えて、微妙なニュアンスを表現できる俳優でもあった。....

★フィナンシャルタイムズ:George Loomis 11.6 
Lucrezia Borgia, Washington National Opera 概訳(下記)
洗練されているとは言えないが、終始一貫、心地よい満足なテノールで歌われた。

★コンサートネット:Micaele Sparacino 11.6
Death in Venice 概訳(下記)
ジェンナーロ役を歌っているのは、並外れた才能のあるテノール、ヴィットリオ・グリゴーロ。今現在、彼は、今日の演出家たちが求めるものの全てを兼ね備えていることは間違いない。彼には秀逸な音色と声質の、しかも、すばらしい高音が出せる、力強く情熱的に朗々と響き渡る声がある。....

写真右上:→  →  →
ジェンナーロ(グリゴーロ)は、ルクレツィアの言いつけ通りにフェラーラを去るつもりで、ヴェネツイアに出発する旅支度をしています。gri_ald_wno.jpgそこに親友のマッフィオ・オルシーニ(ケイト・オルドリッチ)がやって来て、ネグローニの館の宴会に行こうと誘います。オルシーニは、ルクレツィアに助けてもらったと言う話も信じてくれませんし、毒殺されそうになったショックもあり、ジェンナーロは気が進みませんが、オルシーニが宴会に行ってから、一緒にヴェネツィアに行けばいいじゃないかと強引に誘います。....という場面でしょ....ケイト・オルドリッチは男に見えますね。
写真左(WNOニュースレターより) ←  ←  ←
最後の場面、シャツを脱いでます...見に行った人のレポートで、『グリゴーロは、いつのまにかシャツを脱いでいた.....ハイパワーの双眼鏡で見たけど、背が高くてスリム、たくましくてセクシーで、胸毛はなかった...』と書いてる人がいました。

★ワシントン・タイムズ:'Lucrezia' gets her due(Fleming, others give roles depth)
グリゴーロはこの上なく最高だった。昨シーズン、ここのボエームで見事なロドルフォを見せてくれたが、土曜日にはその時以上のもの凄い声の力を示した。葛藤するジェンナーロ役を、明瞭な声とくっきりとした響きで歌った。それはフレミングの声と合っていた。

ジェンナーロの友だち、重要なズボン役のオルシーニで、ケイト・オルドリッチも傑出していた。その堂々とした男らしい外見は彼女に印象的な恵まれた声を増幅した。陰険なアルフォンソ公爵のという要の役のベテラン、バスのライモンディは、卓越していた。大勢の脇役歌手たちもプロとして高いレベルだった。 T.L. Ponick 2008.11.3

★ボルチモアサン:Renee Fleming, vibrant cast bow in WNO 'Lucrezia'
悪名高いボルジアの息子であることを悲劇的な状況で知ることになる若者、ジェンナーロは、きゃしゃなグリゴーロが非常に生き生きと演じた。グリゴーロの歌唱には、もう少し微妙な音色がほしいところだが、刺激的な切迫感があった。このテノールは間違いなく「スター性」がある。
ライモンディは、ルクレチアの、嫉妬深く、残酷な夫であるアルフォンソを効果的に演じた。その声はその最盛期以上に鳴り響いたが、威圧的な様式感が感じられた。オルドリッチは、そのつややかで、豊かな美しいメゾで、オルシーニのイメージをふくらませ、きめ細かい演技を見せた。ドミンゴは自信満々だった。オーケストラから安定した演奏を引き出し、スコアを感動的に表現した。

★メトロウィークリー:Lady Killer
卓越したジェンナーロ役を演じたのは有望なテノール、ヴィットリオ・グリゴーロである。声が多少大きすぎ、技術的には少々雑だったが、力強い男らしさと、傷つきやすい繊細さのバランスがよくとれていた。それに加えて、微妙なニュアンスを表現できる俳優でもあった。夢見る少年の心を内に秘めた情熱的な男を見せてくれた。
ジェンナーロの親友、マッフィオのメゾソプラノ、ズボン役のケイト・オルドリッチは、本当に若い男に見えて、魅力的だった。オルドリッチの美しく、過不足のない、豊かな声は、フレミングの強烈さと対照的ですばらしかった。このデビューが他の多くの役でワシントンオペラに出演するきっかけになることが望まれる。(=今後もワシントンオペラに、たくさんの役で出演してほしい)アルフォンソ公爵は、バスのルッジェーロ・ライモンディがベテランらしく歌った。妻に対してだろうが、敵に対してだろうが、同じように残酷なことができる残忍な男がそこにいた。ルクレチアが矛盾に満ちた世界に生きていることを非常によく示した。Kate Wingfield

★フィナンシャルタイムズ:Lucrezia Borgia, Washington National Opera
ヴィットリオ・グリゴーロの元気いっぱい、喧嘩っ早い ジェンナーロは、究極的洗練の域ではないが、終始一貫、心地よい満足なテノールで歌われた。ズボン役、ジェンナーロの友人オルシーニは、素晴らしいメゾのケイト・オルドリッチが快活に演じた。パスコーは、この友情に性的な要素を加味した。アルフォンソのベテラン、ルッジェーロ・ライモンディは、今なお立派に存在感があるが、声は時折衰えを感じさせた。George Loomis こういう見なくても書けるようなレビューは全然面白くない...

★コンサートネット:Death in Venice
ジェンナーロ役を歌っているのは、並外れた才能のあるテノール、ヴィットリオ・グリゴーロ。今現在、彼は、今日の演出家たちが求めるものの全てを兼ね備えていることは間違いない。彼には秀逸な音色と声質の、しかも、すばらしい高音が出せる、力強く情熱的に朗々と響き渡る声がある。彼はブロンドで、美形で、しかも、その見事な腹筋(=6つに割れた鍛えられた腹筋=six-pack abs =6本セット(six pack)になって売られている缶ビール、その外見が由来、=セミ腹)を観客にさらすことをためらわない。これでは充分じゃないと言うなら、まだまだある。運動神経抜群、エネルギッシュで、説得力満点の役者だ。台からとびおりて、巨大な彫像の上に、ひとっ飛びで、とび上がって、ボルジアの"B"を蹴飛ばして、傷つけ、ボルジアじゃなくて、らんちき騒ぎ"Orgia"としか読めなくしたぐらいだ。大成功への道ばく進中。ワシントンオペラの観客が立ち上がって拍手喝采だったのは、至極当然だ。フレミングとの場面はものすごくドラマチックだった。マッフィオ・オルシーニ(ケイト・オルドリッチ)との場面は、ぞくぞくするほど刺激的でロマンチックだった。プログラムによると、母国イタリアではロックスターでもある。驚きだよ。ビリー・アイドルに瓜二つ、双子の兄弟みたいに見えた。
※ビリー・アイドル Billy Idol(1955.11.30. - )は、イギリスのミュージシャン。 パンク・ロック・バンド、ジェネレーションX(キャリア末期にはGenXと改名)のリード・ ヴォーカルを務め、解散後はソロで大成功した
(略)
これだけのすばらしい歌手をもってしても、全ての観客を陶酔させるには充分でないかもしれないというわけで、そこまでやるかのワシントンオペラは、ルクレチアの夫であるフェラーラ公、ドン・アルフォンソに比類なきバス、ルッジェーロ・ライモンディを配して、飾り立てた。つまらない役ではない。2幕には、非常に音楽的なアリアと興奮を呼ぶカバレッタがある。彼は重厚なスタイルで、堂々とかっこよく、フルボイスで、歌った。黒々としたカプチーノの大きな暖かいマグカップのようだった。彼の抜群の存在感はキャスト全員の気分を盛り上げた。そして、この「ルクレチア・ボルジア」を完璧に第一級の公演にしようとするワシントンオペラの意気込みを示すものだった。Micaele Sparacino
観客の興奮が伝わってくるような面白いレビューです。飛び蹴りで"B"の文字を壊したとか....しかし筆者は、あの金髪ツンツン頭がカツラだと思ってない節もあります.....楽屋口でファンが本人に聞いたところによるとカツラではなくヘアスプレイだそうです。

★写真集(クリック拡大)







ビデオクリップ
ルクレツィアを母とも知らずに身の上話をするジェンナーロ


関連記事: 《ルクレツィア・ボルジア》関連
←ライモンディファンのところから頂いて来ました。ちょっとピンぼけですが....
若者組(オルドリッチとグリゴーロ)と
年寄り組(ドミンゴとライモンディ)
ルクレツィアはポスターと同じ格好してますね。

グリゴーロのスリーサイズ:バスト104,ウエスト85,ヒップ99
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WNO《ルクレツィア・ボルジア》レビュー:絶賛!グリゴーロのジェンナーロ [ルクレツィア・ボルジア]

ワシントン・タイムズのレビュー、またもや"グリゴーロ最高!"
※NYタイムズに続きワシントン・ポストのレビュー"グリゴーロ最高!"も出ました。

11月1日プレミエのレビューが出ました。まずは、ニューヨークタイムズから。
↑1幕:オルシーニ(ケイト・オルドリッチ)、ジェンナーロ(ヴィットリオ・グリゴーロ)、ルクレツィア・ボルジア(ルネ・フレミング)

★初日レビュー:ニューヨーク・ タイムズ In a Man’s World, Poison Is Her Best Revenge
『若いイタリア人テノール、ヴィットリオ・グリゴーロが歌ったジェンナーロは、パンク風の金髪、SF的な肩パッド付きの身体にぴったりついたピチピチ、キンキラキンの格好で、フラッシュ・ゴードンみたい。フレミングは同じようにキンキラのピチピチの上着で登場したときはフラッシュ・ゴードンの宇宙女王みたいに見えた。
イタリアではポップスターとしての副業でも成功しているグリゴーロは、観客に絶対アピールするカリスマ性のある演技者だ。その声には、激しく突き抜け、悲哀を喚起する響きがある。ハンサムでエネルギーがあふれ、壁をひとっ飛びでとび越えることができる彼は、生まれつきの舞台人だ。だから、その歯切れの良い、男っぽい歌唱には、スポーツマン的な性質が感じられる。ただ、ある種の震えと、荒いレガートは、力ずくで声を押し出している可能性を示唆してした。』 ANTHONY TOMMASINI: November 2, 2008
※イタリアではポップ活動は全くしていませんし、CDもイタリア国内では発売していません。大新聞がこういういい加減なことを書くのはよくないです。
最後の文は、だからなんなの、ってなもんで、よくわかりませんが、「力ずくで声を押し出している可能性」って、私には力ずくではなく、これこそが彼の誰もまねのできない歌唱だと感じます。もし、力ずくで無理をして出している声であれば、最後まで続かないでしょう。「ある種の震え」、これもビブラートが必要なところにかけている可能性もあるし....今まで、《ボエーム》《ドン・カルロ》《ルチア》《椿姫》と全曲録音を聴きましたが、彼は、漫然と歌うタイプではなく、非常に考えた歌唱をしていると感じました。いずれにしても早く録音を聴いてみたいです。

レビューにもマッフィオ・オルシーニとの間には友情以上のものが感じられる....とありますが、私も、このオペラを見る時、それを感じていました。このオペラは、ジェンナーロが、自分が助かる道を捨て、友情に殉じて死んで行くという悲劇なんだ...ということを強く感じます。演出家の意図だと思いますが、上の写真を見ると、視覚的にもなにかそういうものを感じます。本当に、兄弟みたいじゃないですか。
フレミングとライモンディについては、本館でどうぞ。

★ワシントン・ ポスト 'Lucrezia Borgia': Uneven but Not Uneventful(リンク先に行けない場合はこちら
  
筆者は、初ヴィットリオ・グリゴーロだったそうですが、絶賛しています。
★ルクレチア・ボルジア:むらがあるが退屈ではない
ドニゼッティのルクレチア・ボルジアは、仮面をつけて登場する。1833年の初演でこの役を歌ったソプラノ Henriette Méric-Lalandeは抗議した。彼女はファンが彼女だとわからないのではないかと心配したのだ。

土曜日の公演で、ルネ・フレミングはこれがまさしく危険な冒険であることを証明した。フレミングはワシントンナショナルオペラに、(演出兼デザイナーのJohn Pascoeのおかげで)繊細な雲のような明るい緑色のマントに包まれ、顔を黄金色の仮面で隠して、初出演した。薄明かりの中で、最初はそれがフレミングなのかどうかわからなかった。そこで、彼女は舞台の前方に進み、仮面を外して見せた。

歌手を見せびらかすのがベルカントスタイルのやり方である。フレミングにとって、音楽的に快適な範囲を逸脱するという冒険をするのは相当勇気がいっただろう。彼女はこの分野は、当然ながら、ベッリーニの海賊を2001年にメトで、1998年にスカラ座でルクレチアを、すでにやったことがあるが、彼女にとってはやはり緊張を要する分野だ。ベルカントは耳をひきつける統一された一連の響きを要求する。大きな弧を描く、浮き浮きさせられる陽気な音楽なのだ。しかし、フレミングの歌はディテールの追究に集中する傾向がある。そのソフトなざらざら感のある声は太陽のしみ、並木道の木陰のようだ。美しいが、この役に求められる鋭さがない。

眠っている息子ジェンナーロ(彼は自分が彼女の息子であることを知らない。これが重要な点である)を見下ろしながら歌われる最初のアリアでは柔らかさが際立っていた。ジェンナーロが目を覚まし、舞台も彼と共に目覚めた。ヴィットリオ・グリゴーロはイタリアでスターの地位を築き、クロスオーバーへと活動範囲を広げている若いイタリア人テノールだ。彼のアルバム"In the Hands of Love"はイギリスでチャート入りを果たした。ワシントンの観客は昨年ボエームでのデビューで彼を知っている。しかし、私は彼をはじめて聴いた。私はわくわくさせられた。その声は明るく輝かしく、強く安定しており、刺激的で興奮を呼ぶ。鮮やかに響き渡る金属的な声は最高のイタリアテノールを思わせる。公演を通して、同じレベルを保ち、私以外の観客全員をも彼に注目させた。一幕で彼が歌い始めると、フレミングは即座に彼に合わせた。その二重唱はこの公演のハイライトだった。まさしく、今シーズンのハイライトだった。

だが、二重唱の後、一幕を締めくくるわきおこる重唱は酷くて、必要以上に混乱していた。合唱と重唱は、指揮者プラシド・ドミンゴの重厚な指揮にもかかわらず、少々不揃いだった。このでこぼこが、刺激的だが、むらのある公演にした。.......

ルクレチアの夫、アルフォンソ役のベテラン、ルッジェーロ・ライモンディのアリアも重厚だった。ライモンディはそのよく知られた声の存在感を示したが、フレミングとグリゴーロが舞台に登場した時にはじめて全開、ペースを整えた。オルシーニ役及びワシントンオペラデビューの、自信満々のメゾソプラノのケイト・オルドリッチは、なかなかよかったが、その聴かせどころのアリアの最後まで、彼女の最善のゆったりとした豊かな響きを聴かせてくれなかった。

このオペラは他の同系のものに比べて、そのアンサンブルにかかっているところが大なので、多くはDomingo-Cafritz Young Artist Programの現在のメンバーから選ばれた脇役たちのむらは酷かった。Rustighello 役のテノールRobert Cantrellはよかった。その素晴らしく強いテノールは目立っていた。良いテノールが二人もいるのは珍しいので、ワシントンオペラは誇ってもよい。

フレミングに関しては、大衆的(通俗的?)には成功、賛否両論。この役に選ばれた信用に値するしやり遂げたがんばりは評価できる。気楽な領域から出たことは、彼女をその悪い習慣からも離れさせた。彼女は率直に真摯に歌った。その声の輪郭にある、こびて品をつくる特徴がほぼ影を潜めていた。彼女は決して偉大なベルカントのヒロインにはなることはないだろう。二幕のライモンディとの二重唱は、だれにとっても難しいが、彼女がうまくできるもの以上のことを彼女に強要していた。この役の超高音は彼女の自由になるものではない。しかし、注目すべきところもあった。低音はよかったし、コロラトューラには正確なものもあった。特に、最後の華麗で勇壮なアリアはよかった。このアリアはいつも歌われるわけではない。ドニゼッティは、Méric-Lalande にしつこくせがまれてこれを書いたが、後の上演ではひっこめた。ドニゼッティは母親が息子の遺体を見下ろしながらの大げさな見せ場は見苦しいと感じていた。しかし、ワシントンオペラはフレミングにこの見せ場を与えた。ただし、多少穏やかで、迫力もあまりなかった。パスコーは大団円用に彼女に黄金の鎧を準備したが、露出過多という感じは残った。 Anne Midgette:Monday, November 3, 2008
※Anne Midgetteは6月にNYタイムズからワシントンポストの音楽評論チーフに。「王様と私」はブレスリンと彼女の共著。

★WNO"Lucrezia Borgia"紹介記事:Donizetti comes out
現シカゴ・オペラ総裁ブライアン・ディッキー(Brian Dickie)氏がブログでこの公演を紹介しています。
ディッキー氏は、グリゴーロのことを高く買っているようです。こういう立場にある人にも評価されているんですね。

★ドニゼッティ作曲《ルクレツィア・ボルジア》新演出 2008年11月1, 5, 7, 9, 11, 15, 17日 全7公演

指揮:プラシド・ドミンゴ
演出・舞台美術・衣裳:ジョン・パスコー
衣裳補:ティム・バロー
照明:ジェフ・ブルッカーホフ
キャスト:
ルクレツィア・ボルジア:ルネ・フレミング
     ソンドラ・ラドヴァノフスキー(7, 15, 17)
ジェンナーロ:ヴィットリオ・グリゴーロ
アルフォンソ公:ルッジェーロ・ライモンディ
マッフィオ・オルシーニ:ケイト・オルドリッチ
ルスティンゲッロ:インシ・チャン
キャスト詳細:ワシントン・ナショナル・オペラ

★右の写真をクリックするとグリゴーロの部分だけ抜粋したWNO紹介ビデオクリップをご覧いただけます。

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いよいよWNOの《ルクレツィア・ボルジア》:11月1日から☆audio trailer★ビデオクリップ [ルクレツィア・ボルジア]

ワシントン・ナショナル・オペラのサイトにドレスリハーサルのビデオクリップが掲載されました。グリゴーロは金髪のツンツン髪です。ルクレツィアが居眠りをしているジェンナーロに心を動かされる場面とジェンナーロが、自分の身の上話をはじめる"Di pescatore ignobile..."のはじめの部分と最後の毒酒を飲んだとも知らずに陽気に歌うオルシーニ....これは素晴しい公演になりそう...(10.31追記)

29日にゲネプロも無事終了、予定のキャスト通りで初日を迎えられそうです。
 
ドニゼッティ作曲《ルクレツィア・ボルジア》新演出 2008年11月1, 5, 7, 9, 11, 15, 17日 全7公演

iPhone/iPad用"audio trailer for Lucrezia Borgia"mp3

指揮:プラシド・ドミンゴ
演出・舞台美術・衣裳:ジョン・パスコー
衣裳補:ティム・バロー
照明:ジェフ・ブルッカーホフ

キャスト:
ルクレツィア・ボルジア:ルネ・フレミング(1,5,9,11)
           :ソンドラ・ラドヴァノフスキー
ジェンナーロ:ヴィットリオ・グリゴーロ
アルフォンソ公:ルッジェーロ・ライモンディ
マッフィオ・オルシーニ:ケイト・オルドリッチ Kate Aldrich
ルスティンゲッロ:インシ・チャン Yingxi Zhang
キャスト詳細:ワシントン・ナショナル・オペラ

★オペラ劇場:ケネディーセンター

♪音声ファイル:オーディオ・トレーラー →
一種独特で面白い....
ワシントンポスト(写真)

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ワシントン・ナショナル・オペラ2007年開幕公演《ボエーム》関連
シカゴ・SUN TIMES記事:グリゴーロ発言に波紋 ★ニューアルバムはドミンゴと二重唱も
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ワシントン・ナショナル・オペラ新演出《ルクレツィア・ボルジア》チーム集合! [ルクレツィア・ボルジア]

 ヴィットリオ・グリゴーロは、11月1日からはじまる、WNO新演出、ドミンゴ指揮《ルクレツィア・ボルジア》のリハーサル中です。彼のHPにチームの写真と指揮者のドミンゴと楽曲のお勉強中(右)の写真が掲載されましたので、もらってきました。
 《ルクレツィア・ボルジア》は、そうそう上演される演目ではないのですが、グリゴーロは初役、ルネ・フレミングは10年ぶり、ルッジェーロ・ライモンディは41年ぶりのアルフォンソ公、ドミンゴは初指揮。この《ルクレツィア・ボルジア》が縁で、グリゴーロを知った因縁の公演です。全キャスト、風邪など引かないように、お願いします。

 グリゴーロは昨年の開幕公演の《ボエーム》に続いてのWNO出演です。ジェンナーロ役は当初出演予定だったフィリアノーティがミラノ・スカラ座の《ドン・カルロ》に出演することにしたため、急に出演が決まったものですが、昨年のロドルフォが好評でしたから、ワシントンDCのオペラファンは、あの若くてキュートなグリゴーロが歌う..というので期待が高まっているようです。
 グリゴーロも今回のようなビッグなキャストに囲まれての仕事、特にライモンディとの共演は得るものが多いのではないかと思います。
★左の写真は、グリゴーロと Ruggiero Raimondi(アルフォンソ公)、John Pasco(演出)、 Rene Fleming (ルクレツイア)、 Placido Domingo(指揮)

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