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《IL CORSARO 海賊》レビュー( l'opera 2010年1月号):すばらしいスペクタクル [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

オペラ雑誌"l'opera"の1月号にチューリヒ歌劇場の《IL CORSARO 海賊》のレビューが出ました。

みごとな公演
成長し続けているテノール、ヴィットリオ・グリゴーロ、彼のコッラードは、登場人物たち中でも際立っていた。私は、昨年の冬(2009年2月)のバレンシアでの《ファウスト》で論評したように、すでにその能力に注目していたのだが、グリゴーロは、更に良くなっている。声は、美しく、突出していて、非常にはっきりしている。そのスタイルは、いつものように過度に情熱的で『外向的』だが、今回はそれが効果的でぴったり当てはまっていた。グリゴーロは、その注目に値する役作りの中でも、3幕は本当に最高だった......gri_corrado_gulnara.jpg
グルナーラは、難しいドラマティコ・タジリタの役だが、カルメン・ジャンナタッシオ(写真右)は、とてもよかった。........
メドーラのエレーナ・モシュクは、優美な軽やかさで完璧といえる.......
カーテンコールでは、ヴィットリオ・グリゴーロとカルメン・ジャンナタッシオへの最高の熱狂的歓声とヴィジュアル・チームへの手拍子によって、成功を確信......


2009年2月の《ファウスト》では、次のように書いています。

『ファウストとしてヴィットリオ・グリゴーロは大成功をおさめた。若いテノールは、もっと慎重な用心深さをもって情熱を注ぎ込むことが必要かもしれないが、実際にとにかくすごく注目に値するものを持っている。中音域は、柔軟で情熱的で力強いが、一方、中音域から低音域への下降では、美しく練られた声が、多分、高音で《押す》歌手の癖で、粉状になる傾向があるように感じた。才能豊かなテノールが、どんなに才能があったとしても、この分野のレパートリーに取り組む時、曲の作風と様式にも気を配るように忠告したくなる。ファウストは、トゥリドゥではないが、ニュアンス、陰影、弱音のより優れた探求は、間違いなく正当で適切なもので、マルゲリータとの二重唱では、実にうまくその成果を引き出した。このことは、注目に値する試みだった。.......
シュロットとグリゴーロは、この公演を成功させ、カーテンコールでは、拍手喝采を受けた.....』

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DAS OPERANGLAS(2010.1月)《IL CORSARO 海賊》レビュー:オペラ界の彗星 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

クリック拡大 ドイツのオペラ雑誌"DAS OPERANGLASS"の1月号にチューリヒ歌劇場の《IL CORSARO 海賊》のレビューが出ました。

『タイトルロールは若いイタリア人テノールヴィットリオ・グリゴーロ。実に非凡。なんという声帯だ。突出した声量。幕開けのシーンのアリアで示されたもの凄い力強さ。彼の声には、表現力あふれるテンポ、悲哀に満ちたニュアンスがある。凄くエネルギッシュながら、声のまろやかさを失わないし、疲れも見せない。声による造型が、外見の良い歌手の感情に走った演技とぴったり合っている。オペラ界の彗星になるのは当然だ。ただ舞台で力を使い果たして、声の疲労を起こさないことを願うのみだ。』

 すでにいろいろなレビューで言及されていることの繰り返しにような内容ですが、やっぱり、並でないことは確かということなんでしょう。
 『ただ舞台で力を使い果たして、声の疲労を起こさないことを願うのみだ。』......そうですね....グリゴーロは、いつもテニスの試合にたとえていますが、声の配分は考えているようですし....今のところ仕事も無理なスケジュールではないと思いますし......

 YouTubeにいつものように写真を使って音声ファイルをアップロードしました。まだ途中で、前半のコッラードが捕まるところまで、(1)(2)(3)(4)と、グルナーラに助けられて、メドーラの元に戻って来るフィナーレの部分)(7)で、間がちょっと抜けていますが......
Verdi - IL CORSARO再生リスト 途中で途切れているところがありますが、これはあまりにひどい雑音が入っていたのでカットしたためです。

 《IL CORSARO海賊》の初っぱなで歌うテノールのアリア"Tutto parea sorridere...."は「初恋のころには」なんてタイトルでコンサートでも時々歌われます。

写真をクリックすると"Tutto parea sorridere...."にリンク
「初恋のころには」
初めて恋をした頃/すべてが ほほ笑んでいるようだった/そよ風も光も空も この世のすべてが/しかし むごい運命が/すべての幸せを奪ってしまった/けがれのない日々の幸せは/再び帰ってはこないだろう
Tutto parea sorridere/All'amor mio primiero:/L'aura, la luce, l'etere/E l'universo intero;/Ma un fato inesorabile/Ogni mio ben rapì./Più non vedrò risorgere/Dell'innocenza il dì.


IL CORSARO libretto

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《IL CORSARO 海賊》2010年元日鑑賞レポート [ヴェルディIl Corsaro 海賊]


↑Renato BrusonとVittorio Grigolo

↑Alexander PereiraとVittorio Grigolo
(Vittorio Grigoloのfoto galleryより転載)
 いつも貴重な情報やコメントをくださる助六さんが《IL CORSARO 海賊》の元日最終公演をご覧になってのレポートをコメントに書き込んで下さいました。ありがとうございます。

 年末年始にかけて、チューリヒ歌劇場では、演出舞台デザインも演奏も評判のグリゴーロ主演の《IL CORSARO 海賊》、世界的建築家マリオ・ボッタの舞台デザインによる新演出で、ドン・バジリオがルッジェーロ・ライモンディの《セビリアの理髪師》、それともう一つ、めったにオペラの舞台に立たないチェチリア・バルトリの《チェネレントラ》が上演されるという、まあ、凄いことになっていたんです。

 助六さんの第一目的は、もちろんチェチリア・バルトリの《チェネレントラ》だったのですが、《IL CORSARO 海賊》も見て来られたということなんです。「正月3日間の公演はバルトリ出演公演以外は「市民公演 Volksvorstellung」と称して、値段も低く抑えられ、窓口売りが優先だった....」そうです。なんともうらやましい.....

 チューリヒ歌劇場のインテンダント、ペレイラ氏(写真右)の任期は2011年までですが、今後もヴィットリオ・グリゴーロの魅力を最大限引き出すような公演が用意されているのではないかと期待しています。現時点で分かっているのは、《ホフマン物語》と《ノルマ》いずれも新演出。有望な若手テノールはたくさんいると思いますが、プレミエ歌手としての地位を確立しているのは、グリゴーロくらいではないかな......

 助六さんのレポートのグリゴーロの部分をこちらに抜粋転載させていただきます。

『コッラード役はロブストな力強さが要りますから、グリゴーロの声は終始緊張度が高かったけど、説得的な役投入合わせ、高音もダイナミズムも破綻なく決めて、まずは立派なもの。リリカルな音楽性は勿論充分。彼のドンカルロ歌唱がどんな感じかは想像付いてきました。........特に期待してなかった「海賊」は、終演後「初期ヴェルディを聴いた!」という余韻と共に帰途に着くことになりました。......グリゴーロが最大のヤンヤの喝采を受けてましたね。....』

 全体的に助六さんを満足させる公演だったようです。《IL CORSARO 海賊》とバルトリの《チェネレントラ》の鑑賞レポート全文は"元日はチューリヒで《海賊 IL CORSARO》 最終公演"の記事のコメントにありますのでご覧下さい。

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《Il Corsaro 海賊》音声ファイル:フィナーレ [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

コッラードが帰って来た時には、時すでに遅し....悲観したメドーラはすでに毒をあおっていたのでした....

 IL CORSAROのフィナーレの部分を写真付き音声ファイル(イン・ハウス)にしてYouTubeにアップしました。上の写真をクリックするとリンクしていて、視聴できます。

◎あらすじ:
フィナーレ:海賊の島
メドーラはコッラードが死んだと思い込み絶望している。近づいてくる船が....コルサーロたちは喜びの声をあげる。コッラードにかけよるメドーラ.....側にいるグルナーラに気づき「あの人は誰?」と尋ねる。コッラードは、命を助けられたことを話して聞かせる。メドーラは、コッラードが死んだと思って、毒薬を飲んだことを告げ、息を引き取る。コッラードは、メドーラが死んだ!渦潮が私を呑み込んでくれよう!....と海に飛び込む。幕

★コッラードの最後はどんな演出だったか...
1、いつのまにかいなくなった(バイロンの原作)
2、海に身を投げた(ヴェルディの脚本)
3、メドーラの飲んだ毒をコッラードも飲んで舞台上で死んだ
4、舞台上でメドーラが死んでは、生きていけない...と言って幕(死んだかどうかは不明)
この演出では、海に身を投げる演出は無理がありますので、メドーラの飲んだ毒を飲む...というのも有りかと思いましたが、どうやら、コッラードが死んだのではないかと思わせる行動はなかったそうです。
YouTube再生リスト:Verdi - IL CORSARO

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元日はチューリヒで《海賊 IL CORSARO》 最終公演 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ヴィットリオ・グリゴーロは、1月1日からオペラの舞台です。今年もオペラの話題がいっぱいのようですから、ネットで追っかけがいがありそう....ブログを始めた当初は、こんなに話題があるとは思いませんでしたが、楽しみです。ちなみに昨年は、「....注目したのが6月はじめですが、とてもいいタイミングで、私にとってもオペラの楽しみが、ぐーんと広がりました...」なんて書いています。そうなんです....テノールに注目するようになって、オペラの楽しみが、ぐーんと広がったのは事実です。

ご覧のように2009年12月29日と2010年1月1日は、セイド役はレナート・ブルゾンです

 さて、今日、元日は、チューリヒでは午後はルッジェーロ・ライモンディがドン・バジリオで出演する《セビリアの理髪師》、夜は、ヴィットリオ・グロゴーロ主演の《海賊 IL CORSARO》という、私には...見に行くわけではありませんが....まさに「盆と正月が一緒に来たよう」な状態です。

 実は、現在ローマに赴任中の甥が暮れの29日に《海賊 IL CORSARO》を見に行ってくれました。私の「特命」といいますか、面白そうだから見に行ったら...なんてお勧めしたということなんですが.....ユニークな鑑賞レポートとカーテンコールの写真をメールしてくれましたので、ご紹介します。
 27日には、デッシーとアルミリアートが、ゼッフィレッリの言動に抗議して降板したローマ歌劇場の《椿姫》を鑑賞(ゼッフィレッリの演出舞台は、それはそれは素晴らしいもので感動したそうです)した直後に《海賊 IL CORSARO》を見た...ということになります.....さて、どんな感想だったんでしょう。

『.....昨日チューリッヒ歌劇場の「イル・コルサーロ」を観て、今日ぶじにローマに帰ってきました。.......
 客席は満席で、劇場が狭く平土間には通路がなくて両脇から順番に入っていかなければならないような密度の高い劇場ということもあり、マイナーな演目なのにずいぶんと熱気をおびた公演のように感じました。とはいえ、しっかりとした正装でくるシニア世代が目立ち、劇場内も隅々まで手がいきとどき、トイレもピカピカなどなどドイツ語圏を感じさせる厳格な雰囲気も多分にあり、ローマの劇場とは勝手がだいぶん違っていてやや緊張しましたが.....。

 肝心の舞台ですが、なんといっても主役の3人の歌唱力、演技力のレベルの高さが際立っていて、グリゴーロの力強い張りのある歌声は、何というかイチローのバックホームを形容する「レーザービーム」を連想させる凄みがありました。2人のヒロインもグリゴーロに勝るとも劣らない熱演で、グルナラ役のジャンナタシオはインフルエンザで不調とのことで開演前にマネージャーから説明がされるほどでしたが、まったくそんなことを感じさせない内容でした。そんなこんなで、ローマで「椿姫」を観ていたおかげもあって、主役の力量の差(主役の重要さ)が身にしみる舞台でした。

 演出は、舞台装置が現代建築からの思想的な影響を感じさせる構成で、何よりも建築的に楽しめました。例えば、建築設計の先端的な試みとして光の流れを意図的にコントロールすることで視覚的に多様な空間をつくりだす建築構成が数年前に流行ったことがあるのですが、今回の舞台装置も鏡による表舞台(明部)と黒色の裏舞台(暗部)を巧みに組み合わせ、様々な印象的な場面をつくりだすように構成されていたり、また衣装や大道具も基本的に漆黒、純白、深紅の3色のみを使っていて、厳選された少数の原色の組み合わせを好むヨーロッパの現代建築デザインの流れを連想させました。全体としては心象描写のような幻想的なシーンの連続なので、歌詞やストーリーをよりよく知っていればもっと楽しめるのでしょうけど。

 オーケストラの演奏は劇場の制約からか小編成で、歌手の熱演に演奏も音量もややおされ気味な印象を受けました。演奏そのものもおとなしい感じで、歌手の演技に熱がこもるとオーケストラが遅れ気味になるようなところもあり、もう少し編成が大きくやや乱暴な演奏(ローマ歌劇場の演奏はそんな感じです)でもよいのかなあ、などと感じました。

 とりあえず感想はこんなところです。劇場内では写真をとっている人をぜんぜんみかけずローマとはずいぶん違うと思っていましたが、カーテンコールでは撮っている人もいたので安心して写真が撮れました。K.K』



 そうなんですよ........オペラを生かすも殺すも歌手次第ということです......ゼッフィレッリは、ダニエラ・デッシーの年齢(51才)と多分ちょっと太り気味という理由で、自分の演出のイメージに合わないということで若いヴィオレッタを取り揃えたわけですが、若くて実力ある歌手は、そのへんにゴロゴロ転がっていないということです。ちなみに甥が見た27日は本当はデッシー&ファビオの出演日のはずでしたが、Mina Yamazaki とStefan Popでした。両人とも私の全く知らない歌手です。

関連記事:
ヴィットリオ・グリゴーロの年頭の挨拶(2009.1.1 )
[ヴェルディIl Corsaro 海賊]
ローマ歌劇場《椿姫》騒動:ゼッフィレッリの影響力健在!
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《IL CORSARO》レビュー:声は若きコレッリ、外見はホンブルク皇子のジェラール・フィリップ [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

◎IL CORSAROの公演は一旦中断、次回は29日です。15日にはシャンゼリゼで《ボエーム》を歌います。
もう一つレポートが出ました.... 「.....声の力強さにもかかわらず、すばらしく洗練された弱音歌唱が繰り返し聴けた。すばらしい!」もう少し詳しい内容を本文に追記しました。(2009.12.8)

◎もう1件.... 「ヴィットリオ・グリゴーロはすばらしく美しい、明るい響きの力強い声でセンセーショナルな成功をおさめ.....自然な表現性の強い人物造型で際立っていた....大掛かりな舞台装置と良い配役のためだけでチューリヒに行く価値がある....」もう少し詳しい内容を本文に追記しました。(2009.12.1)

◎レビューを2件追記しました。グリゴーロに関して共通しているのは、美しい響きの声と情熱的で興奮を呼ぶ舞台...ということでしょうか。(2009.11.27)


 いろいろレビューが出ています。演出舞台も絶賛されているようで公演は大成功、コッラードのヴィットリオ・グリゴーロも好調、好評.....この役は、マイナーなオペラですので、もともとレパートリーではありませんでしたが、今年の3月頃に急にこのオペラを歌う話しが持ち上がって、勉強をはじめたようです。5月末の雑誌のインタビューで、『チューリヒで、はじめて《Il Corsaro 海賊》をやるのを、もの凄く楽しみにしています。これがうまくいったら、一生海賊だけやってもいいです。』と意欲満々で語っています。どうやら大成功のようですから、このプロダクションをひっさげて世界ツァーなんてのもいいんじゃないでしょうか。

Für Verdi die Bühne geflutet
Von Thomas Meyer. Aktualisiert am 24.11.2009
Ein junges Team frischt am Opernhaus Zürich mit viel Wasser die Verdi-Rarität «Il Corsaro» auf.

ヴィットリオ・グリゴーロはコッラード役になりきっていた。活発で情熱的だった。そのとき、あまりにも行き過ぎたテノール的軽薄さに陥らないように注意すべきだ。実際、彼は元気一杯の海賊ではない。むしろ、葛藤するハムレット的芸術家タイプである。彼は二人の強い女に囲まれている。エレーナ・モシュクの感情豊なメドーラ、苦悩し死を選ぶ、エネルギッシュな表現。正反対の、最後にはより傷つくが、まだ若くて希望にあふれたカルメン・ジャンナタッシオのグルナーラ。この三人の歌手たちが、上演を支配した。


Metaphorische Wasserspiele
Marianne Zelger-Vogt
24. November 2009, Neue Zürcher Zeitung
Erstaufführung von Giuseppe Verdis «Corsaro» im Zürcher Opernhau
s

舞台全体が刺激的だったが、この上演は何と言っても歌手がよかった。もちろんその中心は当然ながら、憎しみと感傷的な厭世観に蝕まれた反逆者、社会から追放された無法者であるコッラードだ。ヴィットリオ・グリゴーロは文字通りこの役に没入していた。そのテノールは最初から恍惚状態だった。はじめは圧倒的だった。しかし、長い間には結局、疲労する危険は、歌手だけではなく、聴き手にもある。であるから、グリゴーロの非凡な、ずば抜けて力強く、高音の確かな声は、もっぱらほとんどフォルテとフォルテッシモで、ひたすら高圧的な緊迫状態で、微妙な表現上の変化がなかった。

Wasser, Licht und starke Stimmen
Publiziert am 24.11.2009

歌手の輝き
ヴィットリオ・グリゴーロは 朗々とした、消耗しないテノールで、印象的なコルサロを際立たせた。彼は金属的輝きと抒情的艶やかさをやすやすと結びつけることができる。力いっぱいの鋭角的な響き、時折見せる、高揚した、だかはしゃいだような演技、外見の良さなどが、彼を人気者にしている。囚われ人グルナーラ役のカルメン・ジャンナタッシオは、鋭い描写の抑揚のある非の打ち所のないソプラノと感情表現の深さで魅了した。それに対して、陰気なメドーラ役のエレーナ・モシュクは、非の打ち所のないコロラトゥーラ歌手であるにもかかわらず、あまり精彩がなかった。

ジェラール・フィリップ:ホンブルクの皇子

Der Pirat ist ein Dichter
Mittwoch, 25. November 2009

ヴィットリオ・グリゴーロの声は若きコレッリ、外見はホンブルクの皇子Prinz von Homburgに扮したジェラール・フィリップ Gérard Philippesを連想させる。

オランジュ音楽祭のディレクターで、アヴィニヨン歌劇場の芸術相談役のRaymond Duffautも「ヴィットリオ・グリゴーロは、オペラ界のジェラール・フィリップ....」と言っています。

Il Corsaro @ Opernhaus
ヴィットリオ・グリゴーロは、素晴らしく見える。大きな声でコッラードを歌うが、叙情的印象が足りない。

2009.11.27追記分
Exhumation aquatique
音楽的にヴィットリオ・グリゴーロは、理想的なコルサロに迫っている。それは、激しさと必要な情熱をもった声と共に、いつも通りの尽きることのないエネルギーと舞台上での惜しみなく全力を発揮するサービス精神の旺盛さがある。

Beifall für Verdis selten gespielten „Korsaren“ im Opernhaus Zürich
あの「ルチア」でチューリヒに初登場したヴィットリオ・グリゴーロは、今は、コルサロ役をやっている。前と同様に、美しい響きのテノールの声で歌われる、感情的な高ぶりに支配された、オペラ的気分に満ちたコルサロだ。

2009.12.1追記分:
Spektakuläre Schweizerische Erstaufführung einer Rarität von Giuseppe Verdi
・歌手に配慮した指揮
この重要なプレミエの主な問題は、オーケストラの不一致、全員がロールデビューの出演者にあった。はじまるとさまざまなことに気がつく。テンポのずれ、力任せに推す(Grigolo)、重い(Scorsin)、息が短い(Mosuc)、声の輝き不足(Giannattasio)、ビブラートがきつい(Pons)問題はすべての出演者に見られた。鏡が声を増幅したので、この舞台装置は、声にはとても好ましかった。

・際立っていたヴィットリオ・グリゴーロとカルメン・ジャンナタッシオ
主役のグリゴーロは、コッラード として、すばらしく美しい、明るい響きの力強い声でセンセーショナルな成功をおさめた。また、大げさな演技は影をひそめ、自然な表現性の強い人物造型だった。目も耳も楽しんだ。当然ながら自信にあふれた態度でカーテンの前に進みでて、合唱団の前の水の中にまかれた花をひとつ観客に投げた。

・スペクタクルな舞台
どちらかといえば保守的なチューリヒの観客は、関係者全員に拍手喝采だった。中でも、グリゴーロとジャンナタッシオ、それから、この地の大物歌手であるエレーナ・モシュク。そして、演出陣にもブーイングはほとんどなかった。2009年11月22日、プレミエの直前まで、チケットは完売ではなかった。プレミエの値段が、最高額で320スイスフランだったのが原因だと思われる。
不当ながら上演されることが比較的珍しいオペラで、最近では パルマ(2004)、ブッセート(2008)、ブカレスト(2008/09)であった。結論として、珍しく上演されるCorsaroは、もう大掛かりな舞台装置と良い配役のためだけで、チューリヒに行く価値がある。

2009.12.8追記分:
Welt der Oper:Zürich: IL CORSARO, 22.11.09Vittorio Grigolo は ドン・キショットを思わせるアンチヒーローCorrado、すなわち冒険へと突き進むバイロン卿だ。善のために戦いたいと思いながらも、その臆病さ故に、結局は挫折する。死ぬこともできず、愛も遂げられない。Grigoloは、この役を信じられないほど、輝かしく力強い声で遂行する。強烈な劇的爆発(地下牢の場面での絶望感の激しい表現)も回避しない。そして、声の力強さにもかかわらず、すばらしく洗練された弱音歌唱が繰り返し聴けた。すばらしい!

★チューリヒ歌劇場《IL CORSARO》
2009年11月22,24,26,28日/12月1,3,6,29日/2010年1月1日

指揮:Eivind Gullberg Jensen/演出:Damiano Michieletto/舞台:Paolo Fantin/衣装:Carla Teti
ソリスト:Carmen Giannattasio (Gulnara)/Elena Mosuc (Medora)/Vittorio Grigolo (Corrado)/Giuseppe Scorsin (Giovanni)/Juan Pons (Seid)/Simon Wallfisch (Eunuco)/Pablo Ricardo Bemsch (un schiavo)/北嶋 信也 Shinya Kitajima (Selimo)

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アヴィニヨンの《ルチア》グリゴーロ好評! オペラ界のNew ジェラール・フィリップ...

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コッラード(ホセ・クーラ)・ハイライトVideoClip&ちょっとあらすじ [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 ヴェルディの《海賊 IL CORSARO》は、めったに上演されないオペラとして有名です。ちなみになんでも歌っているドミンゴも歌ってないということは、そのマイナー度が半端じゃないということに他なりません。
 ところで、もう一つベッリーニ作曲の《海賊 IL PIRATA》があります。日本語だと同じに「海賊」になってしまいますが、イタリア語では"pirata"と"corsaro"と二種類の「海賊」がいるということです。違いは、"pirata"が普通の「海賊」で、"corsaro"は大義名分を持った、つまりバックに国家とかがついている公認の「海賊」なんだそうです。
 私も今まで聞いたことがなかったので、これをチャンスに聞いてみましたが、こりゃやっぱり面白くないからマイナーなんだ...とは思いませんでした。話しとしてもオペラチックで面白いし、音楽もまさにヴェルディ!なんです。音楽は《ロンバルディ》と非常に良く似ていて、そっくりな部分も数カ所あります。美しい重唱、アリア満載で、私はとても気に入りました。《ロンバルディ》のように話しも複雑じゃないのもいいと思いますし.....なぜマイナーなのか分かりませんが、考えられる理由を思いつくまま列記してみます。

1.やっつけ仕事だったと言われている
2.そのせいか1時間半と短く興行的に中途半端
3.同程度のソプラノが二人必要
4.エキストラ(殺陣のできる人も)が多数必要
5.主役のコッラードとメドーラの素性が謎


 ヴィットリオ・グリゴーロは、5月末の雑誌のインタビューで、『チューリヒで、はじめて《Il Corsaro 海賊》をやるのを、もの凄く楽しみにしています。これがうまくいったら、一生海賊だけやってもいいです。』と語っているようにコッラード役が気に入ったようです。ソプラノが二人も出ますが、確かにテノールがソプラノの添え物ではなく、かっこいい役なんです。
 最近ですと有名どころではホセ・クーラがレパートリーにしていて1997年にトリノで、2005年にはバルセロナのリセウ大劇場で演奏会形式で歌っています。2004年パルマの公演がDVDになっていますが、ブルゾンが出ているとは言え、特に主役のテノールが洗練されてなくてちょっとどさ回りっぽい雰囲気になっちゃっているのが残念です。

2005年バルセロナの公演(演奏会形式)の録画から、コッラード(ホセ・クーラ)が歌う場面をYouTubeにアップしました。日本語字幕も付けましたので、ハイライト版ですが、だいたい内容が把握できるとおもいます。一応、あらすじもざっと紹介します。
Verdi - IL CORSARO 再生リスト

◎プレリュード 幕が開く 海賊たちの島
Verdi - Il Corsaro(1/7) - Atto1 -Tutto parea sorridere - Si, de' corsari il fulmine
海賊たちの勇ましい合唱に続きコッラードが、昔は希望に溢れなにもかも輝いていた....と美しいアリアを歌う。そこに部下のジョヴァンニが偵察艦からの密書(トルコの太守パシャ・セイドが海賊退治に出陣するという情報)を持ってくる。奇襲攻撃で宿敵をやっつけるチャンス到来とすぐに出港の準備をするように命じる。「武器をとれ 私が指揮をとる」と海賊たちを鼓舞する

Verdi - Il Corsaro(2/7) - Atto1 -"È pur tristo, o Medora, il canto tuo"
◎メドーラの居室
メドーラは、コッラードが訪れるのを待っている。ハープの調べにのせてコッラードへの想いを歌う。「眠れない 死にたい 私が死んだらコッラードは涙を流してくれるはず...」今風に言えば完璧うつ状態。そこにコッラードがやって来て、戦いに行くことを告げる。メドーラは、「もう二度と会えない気がするから行かないで...」と懇願する。「すぐに戻る」と慰めるが「あなたが戻る前に私は死んでしまうでしょう...」と泣き崩れる。コッラードは後ろ髪をひかれる思いで去っていくのでした。
※メドーラのアリア"Egli non riede ancora!"

◎2幕:トルコ太守パシャ・セイドの宮殿の中のハーレム
ハーレムの妻妾たちは、グルナーラがパシャ・セイドの一番のお気に入り....と歌う。グルナーラは、「私は、この世で一番不幸な女...セイドは私を愛しているが、私は憎んでいる....宝石や金で私の愛は得られない...私の想いは 懐かしの故郷の空へと飛び立つ...」と歌う。

◎コルサーロ退治出陣前の宴会
セイドは海賊との戦いを前に気勢をあげ、アラーの神に勝利を祈願する。

◎コッラードの策略→宮殿焼き討ち→戦い→コッラード捕まる
Verdi - Il Corsaro(3/7) - Atto2 -"Onde, o Dervis?" - "Dei perfidi fuggii pur or l'artiglio
海賊の捕虜だったという男が連れて来られる。そのエルヴィスと名乗る男はコッラードその人で策略だったのだが、セイドは彼からコッラード率いるコルサーロの情報を聞き出そうとする。そうこうするうちに火が放たれコルサーロたちがなだれ込んでくる。セイドは謀られたと気づくが時すでに遅し。コルサーロたちの勝利は目前だった。そこにハーレムから女たちの悲鳴が聞こえる。コッラードは、女たちを助けに行くが、そのせいで劣勢となりセイドに捕らえられる。グルナーラは、コッラードに心惹かれる。

Verdi - Il Corsaro(4/7) - Atto2 -"Signor, trafitti giaciono gran parte di costoro,"
セイドは勝利し、コルサーロたちも多数が死ぬが一部は逃げる。グルナーラとハーレムの女たちはセイドに慈悲の心をとコッラードの命請いをす。

◎3幕:セイドの居室
セイドは、グルナーラがコッラードの命請いをしたことに嫉妬しその態度に疑いを抱く。グルナーラを愛しているが、もし裏切られたらあの女を灰にしてやる....と心に誓う。そして、グルナーラの本心を確かめるために「明日はコッラードの処刑だ...」とグルナーラの反応を見る。グルナーラは「せめて命だけは、なにか役に立つかもしれない....」とコッラードを助けようとする。セイドは「お前はあいつを愛しているのだな....その顔に書いてある お前もコルサーロ同様に恐ろしい運命が待っているぞ...」と脅す。

Verdi - Il Corsaro(5/7) - Atto3 -"Eccomi prigioniero! Ambiziosi miei sogni svaniste!"
◎コッラードは鎖に繋がれている
「自分が死んだらメドーラは生きてはいないだろう... 」と囚人となった運命を嘆き眠りに落ちる。そこへグルナーラがやってくる。コッラードに短剣を渡し、足かせと鎖をはずし、セイドを殺して一緒に逃げようと頼む。コッラードは、ここで死ぬのは自分の運命だ...寝首をかくような卑怯なことはできないとグルナーラの願いを拒絶する。グルナーラは、「私が短剣の使い方を教えてあげるわ!」と立ち去る。

◎嵐が吹き荒れ稲妻が光る
Verdi - Il Corsaro(6/7) - Atto3 -"Sul mio capo disecenda, fero Iddio..."
コッラードは、不運を呪い、雷に打たれて死ぬことを望む。
嵐が静まりグルナーラが放心状態で戻って来て、セイドは死んだ...と告げる。コッラードは、自分のために人殺しまでしたグルナーラを助けるために一緒に海に逃げる。

◎海賊の島
メドーラはコッラードが死んだと思い込み絶望している。
Verdi - Il Corsaro(7/7) - Atto3 -"Oh gioia! è lui!... Corrado, egli è Corrado!..."
近づいてくる船が....コルサーロたちは喜びの声をあげる。コッラードにかけよるメドーラ.....側にいるグルナーラに気づき「あの人は誰?」と尋ねる。コッラードは、命を助けられたことを話して聞かせる。メドーラは、コッラードが死んだと思って、毒薬を飲んだことを告げ、息を引き取る。
コッラードは、メドーラが死んだ!私も生きていられない!....と海に飛び込む。幕

メドーラが死んで行くところの重唱も《ロンバルディ》のオロンテが死んで行くところだったかな....にそっくり。ロンバルディもマイナーですが、バスが主役っぽいのでルッジェーロ・ライモンディが若い頃からレパートリーにしていますので、私には馴染みのあるオペラなんです。どの部分がそっくりかピックアップするのも面白いかも.....

ヴェルディ:海賊 IL CORSARO
2005-02-06
Gran Teatre del Liceu, Barcelona
conductor:Marco Guidarini

ソリスト:
Corrado:José Cura
Medora:Marina Meschervakova
Gulnara:Susan Neves
Seid:Carlo Guelfi
Giovanni:Josep Ribot
Selimo:José Manuel Zapata
Orquestra Simfònica i Cor del Gran Teatre del Liceu

※"Tutto parea sorridere"の部分がGran Teatre del Liceuのチャンネルにアップされています。画質がいいです。
※右のクーラの写真は、1996年トリノの《海賊》だと思いますコッラード。フリットリ、ドラゴーニ、フロンターリという豪華キャスト(キャスト詳細は右の写真をクリック)。クーラは同年6月18日にROHでもIL CORSARO(演奏会形式)を歌っている。Evelino Pidò 指揮/José Cura,Viktoria Loukianets,Maria Dragoni,Roberto Servile

メモ:ジュセッペ・ヴェルディ(1813.10.10. - 1901.1.27)作品初演年代順(1839〜1893)
初期:1.オベルト/2.一日だけの王様/3.ナブッコ/4.イ・ロンバルディ/5.イェルサレム/6.エルナーニ/7.二人のフォスカリ/8. ジョヴァンナ・ダルコ/9.アルツィーラ/10.アッティラ/11.マクベス/12.群盗 I Masnadieri/ 13.海賊(IL CORSARO)/14.レニャーノの戦い/15.ルイザ・ミラー/16.スティッフェーリオ
中期:17.アロルド/18.リゴレット/19.イル・トロヴァトーレ/20.椿姫/21.シチリアの晩鐘/22.シモン・ボッカネグラ/23.仮面舞踏会/ 24.運命の力/25.ドン・カルロ
後期:26.アイーダ/(Requiem)/27.オテロ/ 28.ファルスタッフ

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チューリヒ歌劇場《海賊 IL CORSARO》紹介のビデオクリップ [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 チューリヒ歌劇場の"Opernhaus TV"に《海賊 IL CORSARO》のビデオクリップがアップされました。

 

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海賊コッラードはバイロン自身:ダミアーノ・ミキエレット演出 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 チューリヒ歌劇場の《海賊 Il Corsaro》の舞台写真を眺めながら、この海賊の首領コッラードはもしかしたら、原作者のバイロン自身ではないかと直感したのですが、当たってました。バイロン自身がまさにコッラードのような人物だったようですし、オペラでは、コッラードがなぜ海賊になったのもわかりませんし、いまいちコッラードの行動に説得力がないので、かえってバイロン自身にした方が納得の部分もあるような気もします。
gri_corsaro108_1.jpg

以下、チューリヒ歌劇場のサイトにアップされている解説から演出に関する部分の抜粋です。


 『前シーズンの《ルチア》の成功の後、イタリア人の若手演出家ダミアーノ・ミキエレットは、舞台装置家パオロ・ファンティンと衣装のカーラ・テーティと共にチューリッヒ歌劇場で2度目の仕事をする。

 ダミアーノ・ミキエレットは海賊オペラとして《Il Corsaro》を単純に演出することは、現代の演出家として《The Black Swan》や《パイレーツ・オブ・カリビアン Pirates of the Caribbean》といった映画との不本意な競争させられる事になると思った。原作の著者であるバイロン卿と関連づけたらより面白いと思った。バイロンの物語は19世紀のロマン派の英雄伝説を思わせる。そして、主人公は著者自身にするのがもっとも良い。まさしく謎に満ちた、漂白の詩人であるコッラードではないか。

 ダミアーノ・ミキエレットにとって、コッラードは誇り高い一匹狼であり、反抗者(アンチ順応主義者)であり追放された者である。文学的聖像、青ざめた美と歪みの間、若さとはかなさの間で揺れている、コッラードはバイロンの似姿である。孤独を好み、深い厭世観にさいなまれ、二人の女性の愛を拒否し、自分の生命を顧みず市民社会の偽善に反抗する、社会や結婚の規範に反抗する。海賊であることは、彼ににとって、勝者が作った社会の外、ルールの外に位置することを意味する。決して挫けることのない闘士、全てに抵抗する者、英雄的かつロマンチックな敗者、19世紀の産物。しかし、今は、歴史的事実よりもバイロンのロマン主義的神話の意味を探ることのほうが重要だ。

 海はこのオペラの中心的要素で、台本の中で、主要登場人物たちが頻繁に口にするだけでなく、ヴェルディ自身も繰り返し指摘している。この演出では、海は存在に対する不安、遠い見知らぬ異郷、異民族、謎に満ちた不可解な世界、確かさの欠如、確かな寄りどころの無さなどの象徴だが、孤独と家庭を持って日々の日常を過ごすという小市民的な人並みの人生を送ることが不可能であることの隠喩でもある。

 パオロ・ファンティンの舞台装置には、海がある。実際に常に海がそこにあるわけではないが主要登場人物たちはその海に駆り立てられる巨大な舞台装置。舞台の大量の水と動かせる島は、舞台技術と舞台装置作製現場に大きな挑戦を迫るものだ。

 海賊がトルコと戦うところでは、物語とは違って、ダミアーノ・ミキエレットはコッラードに、社会、ルール、家族のしきたりや性的慣習、利益追求主義者といった海にないものに対して反抗させようとしている。グルナーラにとって、人生は牢獄である。彼女はそこの男を憎んでいる。コッラードによって正反対のもの、秩序を破壊しようとする自由な反乱する精神に出会った。そして、グルナーラに絶望的に思えた状況から逃げ出す道を指し示した。彼女は一瞬にして、彼女自身がやりたいと夢みていたことを、大胆不敵にも成し遂げようとする、無鉄砲な英雄に恋をする。コッラードは、ロマン主義的激情を持って、小市民的社会の根幹に立ち向かう。これこそ愛すべき敗者の為すべきことである。』


 マイナーなオペラですので、一応あらすじを超簡単に紹介します。gri_corsaro_201.jpg
『海賊コッラードのもとに、仇敵トルコの太守セイドを討つべき時が来たと知らせがくる。愛する妻メドーラを残し仲間とともに出発する。セイドの館に火を放ち戦いは優勢であったが、ハーレムの女奴隷たちを助けようと手間取り、首領のコッラードだけが捕まってしまう。セイド寵愛のグルナーラは、コッラードの命乞いをするが聞き入れられず、グルナーラはセイドを殺してしまう。コッラードはグルナーラと共に海賊の島に戻るが、時すでに遅く、そこには、コッラードが死んだのではないかと絶望したメドーラが、毒を仰ぎ瀕死の床にあったのだ。メドーラは、コッラードを救ってくれたグルナーラに感謝して息絶える。メドーラの死を嘆きコッラードは、岩場から海へ身を投げ、残されたグルナーラはその場に泣き崩れる。幕』

このオペラは、有名どころではホセ・クーラがレパートリーにしています。りょーさんのブログにもうちょっと詳しい解説があります。→ヴェルディの「海賊」Il Corsaro

メモ:ヴェルディ作曲/海賊(イル・コルサーロ)IL CORSARO/初演:1848年10月25日、トリエステ/台本:フランチェスコ・マーリア・ピアーヴェ/原作:バイロン「海賊」

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ヴェルディ《海賊 Il Corsaro》舞台写真集 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 11月22日プレミエの《 Il Corsaro》の舞台写真がチューリヒ歌劇場のサイトにアップされました。
 コッラードひきいる海賊たちは白、トルコの太守セイドたちは黒、ハーレムの女たちは赤......ユニークな舞台のようです。海賊にみえない....もしかしてバイロン....

★舞台写真:Vittorio Grigolo,Elena Mosuc (白い衣装),Carmen Giannattasio (赤い衣装),Juan Pons





gri_corsaro101s.jpggri_corsaro107s.jpg
※クリックするとかなり拡大します。
その他の写真はFoto-Datenbank: Il Corsaroにあります。
だいたいどの場面か見当がつきますが、上段右端の写真は、紙幣を燃やしているのかしら?

★1幕は、かっこいい歌があります。ホセ・クーラでどうぞ.....
Tutto parea sorridere - Si, de' corsari il fulmine


関連記事:ヴェルディ《海賊 Il Corsaro》リハーサル写真
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ヴェルディ《海賊 Il Corsaro》リハーサル写真 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 チューリヒ歌劇場、11月22日プレミエのヴェルディ作曲《イル・コルサロ》のリハーサル写真がPDFファイル"Weitere Informationen 詳細情報"で紹介されました。

2009年11月22,24,26,28日/12月1,3,6,29日/1月1日

指揮:Eivind Gullberg Jensen
演出:Damiano Michieletto
舞台:Paolo Fantin
衣装:Carla Teti
照明:Martin Gebhardt

ソリスト:
Carmen Giannattasio (Gulnara)
Elena Mosuc (Medora)
Vittorio Grigolo (Corrado)
Giuseppe Scorsin (Giovanni)
Juan Pons (Seid)
Simon Wallfisch (Eunuco)
Pablo Ricardo Bemsch (un schiavo)
北嶋 信也 Shinya Kitajima (Selimo)

 2008年の《ランメルモールのルチア》と同じ、ダミアーノ・ミキエレットのチームによる演出・舞台・衣裳です。リハーサル写真では、どのような演出舞台なのか見当もつきませんが、伝統的と言われるような舞台ではないようです。そういえば、この演出グループは、2011年5月に新国で《コジ・ファン・トゥッテ》の演出をする予定みたいです。

★Weitere InformationenPDFファイルから(クリック拡大)


メモ:
エイヴィン・グルベルグ・イェンセン Eivind Gullberg Jensen:ノルウェー出身、1972年生まれ
カルメン・ジャンナタッシオ Carmen Giannattasio:南イタリアのアヴェリーAvellino出身 2002年ドミンゴ主催OPERALIA優勝
北嶋 信也 Shinya Kitajima:秋田県出身、テノール 二期会blog「オペラの散歩道」に詳しい経歴

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