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WNO《ルクレツィア・ボルジア》感想いろいろ:素人さんの言いたい放題 [ルクレツィア・ボルジア]

 11月1日から17日まで7公演、ヴィットリオ・グリゴーロは予定通り全公演出演しました。皆勤賞です。いつものように彼自身のホームページに、皆さん応援ありがとう....メッセージを掲載しています。
 この公演は、ひとえにドミンゴ総裁の人脈のお蔭だと思いますが、アメリカの地方劇場では考えられないような豪華キャスト、演出、衣裳も話題になりまし、特にグリゴーロの八面六臂の活躍ぶりは、ネット上からだけでも伝わって来ました。
 専門家の評論は出揃いましたので、一般観客の感想をまとめて紹介します。専門家のようにかまえてませんから、一般のレポートの方が、言いたい放題みたいな面もありますが、正直で面白いです。皆さんグリゴーロの並外れた才能にノックアウトされたようで、今までこんなテノール見たことも聞いたこともないよ!とその興奮状態が伝わって来るようなレポートです。アメリカの有名オペラフォーラムでも話題になっていましたが、グリゴーロが良かったというメッセージに対して反対コメントは見当たりませんでした。
 私が注目し始めてから、ジュネーヴの《ドン・カルロ》、チューリヒの《ルチア》《椿姫》と快進撃が続いていますが、《ルクレツィア・ボルジア》でも、その勢いはとどまるところを知らず、観客を沸かせたのは間違いないようです。

11月1日と9日 鑑賞  フォーラムから
ジェンナーロ役であり、イタリア人ロックスター兼オペラ歌手ヴィットリオ・グリゴーロに対して、たくさんの新聞記事が書かれた。確かに、彼はものすごくハンサムなだけではなく、舞台で見たなかで、若いころのアダム・クーパー以後、最高にセクシーだ。彼の一挙手一投足はまさにセックスアピールそのものだ。ほんとセックスそのもの。そして、ひどくがっかりさせられることには、彼は歌えるだけでなく、すごくうまく歌うし、そのうえ、抜群の様式感と音楽性を備えている。他のドラマチック・イタリアンテノールと並べれば、その声には、金属的な感じとか、衝撃的な勢いには欠けているかもしれない。だけど、リリックとしては、非常によく訓練されていると思う。呼吸に余裕がある。一幕でのフレミングとの二重唱や三重唱ではどこで息継ぎをしたのかわからなかった。それに、高音をたやすく出すし、そのうえ、まさに人物になりきっている。このような役に選ぶなら、最良の選択肢は、彼とマルタの鷹 The Maltese Falconしかいないね。
すでにジュネーヴでドン・カルロを歌ったが、私としては、彼にとって大きすぎる役や早すぎる役の依頼は断ってほしい。適切にやれば、彼の才能には限りがないと思う。初日の公演で、彼は明らかにシャツを着ていなかった。残念ながら、後の公演ではわからなかったが、すべて順調だったのだろう。
そうそう、見栄えのいい歌手は、それだけで歌はダメと決めつけている不思議なオペラ通がいるんですよ。そういう人たちにとっては、悔しいぃぃぃということでしょうね。

11月1日 鑑賞  フォーラムから
ヴィットリオ・グリゴーロは、すばらしいテノールだ。魅力的なレガートと鳴り響く高音。私にとって、彼はこの公演のスターだった。

11月1日 鑑賞  フォーラムから
若いころのコレッリを思い出した。舌足らずさやイタリア的マンネリズムはないけど。声は強く、高く鳴り響く。背が高くて、スリムで、ワイルドな髪型だった。やってくれるかもって期待してた通り、オペラの終わりに、ぴったりのパンツ(=ズボン)だけになった。途中どこかでシャツを脱いじゃったんだ。男らしくたくましいテノールだけど、高性能の双眼鏡なしで見た限りでは、胸毛はなかった。これ、減点。(笑

11月5,7,9,11日 鑑賞 RRファン
グーグル検索で彼のホームページを見つけて、行ったんだけど、要するに「ポペラ」とかクロスオーバー歌手だと思った。ワシントンオペラが近いうちにアンドレア・ボチェッリを出演させることになっているということからも、グリゴーロがああいう類の歌手じゃないとは思えなかった。でも、友だちの何人かは、グリゴーロを見たことがあって、相当良いと言っていたので、自分も偏見をもたないようにした結果、とっても感動した。彼の声の響きがとっても気にいったし、歌も演技もすごくうまいと思った。でも、カーテンコールでは、オペラ歌手というより、ポップススターみたいに振る舞っていた。
RRファンで、イギリス人です。海外追っかけはRRだけですが、コヴェントガーデンのオペラはほとんど見ているというオペラ通です。

11月15日鑑賞 ブログ
ジェンナーロ役のグリゴーロはどこからみても平凡ではない。インターネットの情報だけだと、何かになりたがっているうっとうしいglamah-boy(肉体的魅力が売りの男の子)として容易に却下だ。だけど、彼が仮想空間でほとんど瞬時に他の追随を許さないほどに繁殖させてしまったgah-gah ファン軍団や、両性具有的なラテンの女たらし的外見、洗濯板みたいな胴、概してすごいクロスオーバーのナンバーなんかは忘れて、彼の本業のほうへ目を向けろ。グリゴーロが単なる31歳のマッチョなゴールデンボーイというだけはなく、ゴールデンヴォイスの持ち主だということがわかるだろう。低音域はブロンズの輝き、中音域は豊かで美しい、そして、最高音はとにかくぞくぞくする。でも、ユーチューブにあがっているのではわからない。声楽に興味があるのなら、すぐに生で聴いて判断しろ。最高のレベルに発展しうるが、一夜にして消えることもありうる声だ。今までに聴いたテノールの中で、グリゴーロのような奇跡的な声を持っていたのは、マリオ・デル・モナコ、ジュセッペ・ディ・ステファノ、そして悲劇のフレデリック・カルト Frederic Kaltの三人だけだ。だが、グリゴーロは彼らになかったものを持っている。すなわち、音楽的知性という点でまさっている。グリゴーロの演技は、未発達と言うべきながら、その、切れのよい動きには引込まれる。あえて言わせてもらえば、カラスがその自然な腕の動きによってもたらしたのと同じようなものだ。
※フレデリック・カルト Frederic Kalt、1962年生まれ、ユタ州ソルトレイク出身のテノール、MS(多発性硬化症)で、輝かしいキャリアを断たれた。1998年2月メトでピンカートンを歌う予定だったが、果たせなかった。
過激で面白いレポートですね。この筆者も、オペラ歌手が見栄えがいいと苦労する、なかなか正当に評価されないことを、ひしひしと感じているのがわかります。

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コメント 8

babyfairy

一般の観客の意見の方が参考になりますね^^;。
私も実は実演聴いた時に、黄金時代のイタオペのテノール達を思い浮かべていたんですよ。今の所、声的にはリリコでしょうけど、どうもコレッリを想い出してしまうんですね。コレッリはかなりロブストな方だけど、何故か。おそらく、マエストロ・サンティが歌手にいわゆる昔風の歌わせ方をしていたせいもあるかなとその時は思ったのですが。

それにしても、見た目が良いのが障害になるなんて、オペラの世界特有の事だと思います。私は基本的に見た目の酷さを乗り越えられない歌手は興味無いんで、同じ普通レベルの歌手なら絶対見た目の良い方が好きですけどね。
by babyfairy (2008-11-18 18:55) 

keyaki

babyfairyさん
>黄金時代のイタオペのテノール達
グリゴーロ君が伝統を引き継いでいるということですね。そういう勉強ひとすじできているわけですから、当然と言えば当然なんでしょうけど、歌だけは、才能がないといくら勉強してもダメなんですよね、楽器とかだとある程度努力でカバーできる面もありますけどね。

写真を見てもわかりますが、役柄、演出によって、カメレオン俳優並にちゃんと変われるタイプですね。ジェンナーロは、隊長ですから男らしくマッチョなかんじだったようですが、ドン・カルロは、とても細くて弱々しく見えて、それが役にぴったりだった、と感想を書いている人がいました。

>音楽的知性
私も、これはすごく感じます。ポップでも。

皆の感想を読むと、こちらまでわくわくしてきます。早く放送して欲しいですね。
by keyaki (2008-11-19 02:33) 

ペーターのファンです。

プロも素人も区別なく、にぎやかに盛り上がっていますね。なんだか、賞賛する言い訳に「見た目」や「ポップス云々」を持ち出して何か言ってる雰囲気も感じられます。

声と歌唱が素晴らしければ見た目の不足(失礼!)二の次、これはオペラ歌手の一つの基準なのかもしれませんが、容姿の良さをあれこれ言われるのは不思議としか言いようがありません。

前記事の写真を拝見して、しばらく真面目に考え込んでしまいました。このオペラにコメディの場面があったかしらん・・・。百歩譲って熱演としても違和感大です。
放送してほしいですね。もちろんフレミングの方ですが。
by ペーターのファンです。 (2008-11-19 22:49) 

keyaki

ペーターのファンさん
ほんと、オペラの感想を書くのは難しいですね。

巨大な彫像の上に、ひとっ飛びで、とび上がって、ボルジアの"B"を蹴っ飛ばしたとか、シャツを脱いだとか....そんなことをする奴が歌でも感動させてくれるなんて信じられんと思うだろうけど.....ってことなんでしょうね。
ペーター・ホフマンが、飛んで来る槍を空中キャッチしたり、ライモンディも、体操選手のように飛び回るメフィストを演じて、皆を驚かせたのは有名な話しなんですけどね。舞台で自由自在に動ける歌手が少なすぎなんですよね。

グリゴーロ君も、もう終っちゃうのかと思うと悲しい...なんて言っているように、今回も観客が喜んでくれたという実感のある充実した公演だったんでしょうね。
by keyaki (2008-11-20 02:07) 

euridice

以前にもブログに載せたかもしれませんけど、ヘルデンテノールに関する論文を書いた彼女自身、ホフマンに割いたページが多すぎるせいで、揶揄されたりもしているのですが、以下、その論文からです。

『(ホフマンに対する扱い方は)姿形も魅力的なうえ豊かな声の持ち主だったフランコ・コレッリと非常に似通った状況だ。コレッリは、1960年代にイタリア・オペラのテノールのイメージを変えた。テノール役に生気を吹き込み、生き生きとよみがえらせたのだ。彼は、観客とオペラ・ハウスの経営陣のどちらからも同じように賞賛され、愛された。しかし、しばしば批評家の攻撃目標にされた。同じように、ホフマンも、声と姿が一体となった輝かしさを発散して、尋常ならざる雰囲気によって、観客の心を奪ってしまうものだから、一部の批評家は、困惑のあまり、彼が外見も中身を一致しているなんて信じ兼ねるという症状を呈しているのだ。オペラ史上、あれほど姿形がうつくしく、あれほど強力な声を持ち、あれほど人を納得させるように演じる歌手はほとんど存在したことがない。だから、批判的批評をしようとするとき、この魅力的な「セット」に「欠陥」を見つけようとしがちになるのだ。』
by euridice (2008-11-20 20:01) 

Sardanapalus

歌えて演技ができて動けて容姿端麗な歌手の、どこが悪いんでしょうね?それこそが理想的なはずなのに、批評家って変な人種ですよね。

グリゴーロ、近い内に日本にも来てくれればいいのに…もしくは、実現したら初回はノーギャラで良いと言い切った、ROHで「ラ・ボエーム」なんてことになったら飛んで行きますけどね(^^)
by Sardanapalus (2008-11-20 23:35) 

euridice

みなさま、コメントの引用部分にミスタイプあり・・です。
済みませんが、訂正しつつ読んでください。

>歌えて演技ができて動けて容姿端麗な歌手
一種の羨望、しっと、ねたみもあるんでしょう・・ 

視覚は聴覚に比べれば普遍性が大ですから、完全黙殺とはいかず、
「外見で成功した歌手」「外見はいいけど・・」といった論調になるんでしょうねぇ・・対極にある見るに耐えない(失礼^^!)歌手が成功しているのに接したら、歌が巧いと思うしかないってことになります。金銭がらみとか有力者とのコネなんてのはあまり説得力ありませんから・・^^L




by euridice (2008-11-21 07:40) 

keyaki

Sardanapalusさん、euridiceさん
ほんとにその通りですね。大きな瑕疵があるほうが安心するんでしょうか。
まあ、言いたい人には言わせておくしかないですね。でも、これだけ個人のレポートが盛り上がるのもめったにないことだと思います。やっぱり、素晴しい体験は、みんなに話したくなるんですよね。
グリゴーロは今のところ、批評家の受けもいい方だと思います。コレッリとかホフマンの時代よりは、柔軟になっているのかもしれません。
by keyaki (2008-11-21 23:23) 

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