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元日はチューリヒで《海賊 IL CORSARO》 最終公演 [ヴェルディIl Corsaro 海賊]

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ヴィットリオ・グリゴーロは、1月1日からオペラの舞台です。今年もオペラの話題がいっぱいのようですから、ネットで追っかけがいがありそう....ブログを始めた当初は、こんなに話題があるとは思いませんでしたが、楽しみです。ちなみに昨年は、「....注目したのが6月はじめですが、とてもいいタイミングで、私にとってもオペラの楽しみが、ぐーんと広がりました...」なんて書いています。そうなんです....テノールに注目するようになって、オペラの楽しみが、ぐーんと広がったのは事実です。

ご覧のように2009年12月29日と2010年1月1日は、セイド役はレナート・ブルゾンです

 さて、今日、元日は、チューリヒでは午後はルッジェーロ・ライモンディがドン・バジリオで出演する《セビリアの理髪師》、夜は、ヴィットリオ・グロゴーロ主演の《海賊 IL CORSARO》という、私には...見に行くわけではありませんが....まさに「盆と正月が一緒に来たよう」な状態です。

 実は、現在ローマに赴任中の甥が暮れの29日に《海賊 IL CORSARO》を見に行ってくれました。私の「特命」といいますか、面白そうだから見に行ったら...なんてお勧めしたということなんですが.....ユニークな鑑賞レポートとカーテンコールの写真をメールしてくれましたので、ご紹介します。
 27日には、デッシーとアルミリアートが、ゼッフィレッリの言動に抗議して降板したローマ歌劇場の《椿姫》を鑑賞(ゼッフィレッリの演出舞台は、それはそれは素晴らしいもので感動したそうです)した直後に《海賊 IL CORSARO》を見た...ということになります.....さて、どんな感想だったんでしょう。

『.....昨日チューリッヒ歌劇場の「イル・コルサーロ」を観て、今日ぶじにローマに帰ってきました。.......
 客席は満席で、劇場が狭く平土間には通路がなくて両脇から順番に入っていかなければならないような密度の高い劇場ということもあり、マイナーな演目なのにずいぶんと熱気をおびた公演のように感じました。とはいえ、しっかりとした正装でくるシニア世代が目立ち、劇場内も隅々まで手がいきとどき、トイレもピカピカなどなどドイツ語圏を感じさせる厳格な雰囲気も多分にあり、ローマの劇場とは勝手がだいぶん違っていてやや緊張しましたが.....。

 肝心の舞台ですが、なんといっても主役の3人の歌唱力、演技力のレベルの高さが際立っていて、グリゴーロの力強い張りのある歌声は、何というかイチローのバックホームを形容する「レーザービーム」を連想させる凄みがありました。2人のヒロインもグリゴーロに勝るとも劣らない熱演で、グルナラ役のジャンナタシオはインフルエンザで不調とのことで開演前にマネージャーから説明がされるほどでしたが、まったくそんなことを感じさせない内容でした。そんなこんなで、ローマで「椿姫」を観ていたおかげもあって、主役の力量の差(主役の重要さ)が身にしみる舞台でした。

 演出は、舞台装置が現代建築からの思想的な影響を感じさせる構成で、何よりも建築的に楽しめました。例えば、建築設計の先端的な試みとして光の流れを意図的にコントロールすることで視覚的に多様な空間をつくりだす建築構成が数年前に流行ったことがあるのですが、今回の舞台装置も鏡による表舞台(明部)と黒色の裏舞台(暗部)を巧みに組み合わせ、様々な印象的な場面をつくりだすように構成されていたり、また衣装や大道具も基本的に漆黒、純白、深紅の3色のみを使っていて、厳選された少数の原色の組み合わせを好むヨーロッパの現代建築デザインの流れを連想させました。全体としては心象描写のような幻想的なシーンの連続なので、歌詞やストーリーをよりよく知っていればもっと楽しめるのでしょうけど。

 オーケストラの演奏は劇場の制約からか小編成で、歌手の熱演に演奏も音量もややおされ気味な印象を受けました。演奏そのものもおとなしい感じで、歌手の演技に熱がこもるとオーケストラが遅れ気味になるようなところもあり、もう少し編成が大きくやや乱暴な演奏(ローマ歌劇場の演奏はそんな感じです)でもよいのかなあ、などと感じました。

 とりあえず感想はこんなところです。劇場内では写真をとっている人をぜんぜんみかけずローマとはずいぶん違うと思っていましたが、カーテンコールでは撮っている人もいたので安心して写真が撮れました。K.K』



 そうなんですよ........オペラを生かすも殺すも歌手次第ということです......ゼッフィレッリは、ダニエラ・デッシーの年齢(51才)と多分ちょっと太り気味という理由で、自分の演出のイメージに合わないということで若いヴィオレッタを取り揃えたわけですが、若くて実力ある歌手は、そのへんにゴロゴロ転がっていないということです。ちなみに甥が見た27日は本当はデッシー&ファビオの出演日のはずでしたが、Mina Yamazaki とStefan Popでした。両人とも私の全く知らない歌手です。

関連記事:
ヴィットリオ・グリゴーロの年頭の挨拶(2009.1.1 )
[ヴェルディIl Corsaro 海賊]
ローマ歌劇場《椿姫》騒動:ゼッフィレッリの影響力健在!
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助六

今年もよろしくお願い致します。

keyakiさんがグリゴーロ・ブログ開設された時、私は「それ誰?」というレヴェルでしたが、アレヨアレヨという間に、オペラ界第1の注目株に成長してしまいましたね。
さすが地獄耳のkeyakiさん、世界的に見ても真っ先に注目した一人だったのでは。
ペレイラのザルツ転出に伴って、グリゴーロの音楽祭登場も間もなくでしょう。

私も年末のバルトリ目当てにチューリッヒに行きまして、翌晩ついでにこの上演観てきました。何だかいつも「ついで」みたいで恐縮なんですが、TAROさん同様まず女声に興味引かれる方なもんで。
甥子様のホットな感想も楽しく拝読しました。

演出が効果的かつ美しかった。でもこれはミキエレットの演出以上に舞台美術と照明の力だと思います。
舞台に大規模に水を張るというアイデアは特に新しいものではなく、私にも98年オペラ・コミックの「ペレアス」メドゥサン演出とか、00年のオランジュのドゥセが出演した「ホフマン」のサヴァリ演出とかがすぐ思い浮かぶんですが、どちらも水は背景的雰囲気を醸成する以上の効果はありませんでした。今回の演出は客席へ向け90度傾けた鏡板を上部に設置し、反射する舞台を真上から俯瞰させ、鏡板の操作と照明の効果で、水の反映をドラマ分節の鍵として踏み込んで活用しているところが決定的に違います。
この唐突な展開が多いドラマを、照明の微妙な操作を駆使して、自然かつ明快に処理していく技術的・ドラマ的・美的手腕には瞠目させられますね。
「海」が主役のように付きまとう「ボッカネグラ」でこういう舞台を見てみたかったです。
全体のプランはミキエレットが作ってるでしょうが、彼自身のドラマ解釈というと、言われなくても分かる海賊はバイロンの分身だということと、セイド一派がイスラム教徒ではなくブルジョワ社会の一員であることくらいで、演技指導もこれといったシマリはありません。

コッラード役はロブストな力強さが要りますから、グリゴーロの声は終始緊張度が高かったけど、説得的な役投入合わせ、高音もダイナミズムも破綻なく決めて、まずは立派なもの。リリカルな音楽性は勿論充分。彼のドンカルロ歌唱がどんな感じかは想像付いてきました。

モシュクもジャンナッタージオも初めて聴きましたが、メドーラ役はリッチャレッリが得意にしてたスフォガートかつアンジェリカートだけど、モシュクも中々美しく無理のない歌を聞かせる。チューリッヒの座付きの仕事が主なのは勿体ない気さえするけれど、それが彼女が高い平均的レヴェルを保ち続けてる理由かも。
グルナーラはドラマティコ・ダジリタの強力な役だから、ジャンナッタージオはグリゴーロ同様緊張度が高かったけど、まあそれは誰でもそうで当たり前。それなりにアジリタの技術を持ち、ダイナミックな迫力もまあまあ、ドラマと音楽性も備えてて、この人はイタリアの若手では注視する価値ありかもしれません。当夜は風邪引きアナウンスもなかった。

指揮のグルベリ=イェンセンのオペラは初めてでしたが、近現代の管弦楽曲で堅固な指揮を聞かせる彼が、正反対の初期ヴェルディをこれだけ振れるのは意外でした。
リズムと旋律造形でヴェルディ指揮者とは言い難いにしても、強靭なリズムの躍動感を保持し大きな違和感はない。外国人に難しい初期ヴェルディでは大健闘賞。

40年近く前の録音で見事なセイドだったブルゾンの現状は悲しい。この役、高い音が多いだけに、抜け殻みたいな高音しか出ない上、音は下がりっぱなし、かつてブルゾンの宝だった高貴なレガートもヨレヨレでは涙が出る。
まあ30年近く前は朗々たる美声で驚かせてくれたポンスも、今はちょっとですしね。

私は初演150周年だった98年に初演劇場トリエステで「海賊」を見たことがありまして、ソロ、オケ、合唱、演出、カレガーリの指揮さえ非力で、「評判通りの失敗作」と退屈してしまったんですが、今回は美しい音楽の連続と感じられ、満足して劇場を出ました。初期ヴェルディは歌手と指揮が強力でないとほんとに平板になってしまう。
独系劇場のオケと合唱は、イタリアの地方中劇場とはレヴェルが違う事実を再確認。

前晩のチェネレントラは指揮がとにかくダメ、11月のバロック・リサイタルで「今が頂点」を確信させられ大変期待したバルトリのチェネレントラも、オペラの舞台では声のプロジェクションがないこともあって、引っ込んでしまうのは以前と同じ。アジリタの切れ味も期待には遠く、何か「ロッシーニを聴いたんだ」という後味はありませんでした。
バルトリは当日朝、家でコケたとかでギブスはめ、派手に足を引きずりながらも手を抜かない演技でしたから、歌いにくかったろうとは思いますが。バルトリって以前もザルツ復活祭の「コジ」だかで、足引き摺って出演したと報じられたことがあったような気がするけど、「重力との闘い」は熾烈ということでしょうか(笑)。
逆に特に期待してなかった「海賊」は、終演後「初期ヴェルディを聴いた!」という余韻と共に帰途に着くことになりました。

グリゴーロが最大のヤンヤの喝采を受けてましたね。
若い頃はオペラニ連荘をやったこともありましたが、今はさすがに連荘や昼間からオペラはご免なので「セヴィリャ」は遠慮しました。ボッタの美術やサンティの指揮は興味あったんですが。「チェネレントラ」もせめてサンティが振ってくれれば大分印象は変わっていたと思います。
正月3日間の公演はバルトリ出演公演以外は「市民公演 Volksvorstellung」と称して、値段も低く抑えられ、窓口売りが優先だったんですよね。税金を投入して国際的名声を得てる劇場の経営としては、ロジックですね。

by 助六 (2010-01-05 08:33) 

keyaki

助六さん
こちらこそよろしくお願いします。

チェチリア・バルトリのチェネレントラに....やっぱり
ついででもなんでも感想をお知らせ頂けて、嬉しいです。
バルトリは、自宅で骨折ですか....あちらの方は、逆三角形の体型ですから、足に負担がかかるんでしょうね。日本に比べて、杖をついた老人が多いですよね。

グリゴーロに注目しているせいかも知れませんが、最近は1980年前後の生まれのテノールがぞくぞく出て来ているようですが、その中でもその活躍ぶりはダントツ....舞台映えする体格もピカイチ....お顔は好き好きでしょうけど、これだけ均整のとれた体格の歌手はいません....モデルの体型と書かれるのは他には知りません。ミケランジェロのダビデみたいじゃないですか.....

モシュクは、チューリヒ以外でもけっこう歌っているようです。もうすぐはじまるミラノ・スカラ座の《リゴレット》に出演なんですが、イタリアのオペラフォーラムでもどうなっているのか....と嘆いてましたが、最近のスカラは何を考えているんだか....第一キャストがJessica Prattという若い歌手で、第二キャストがモシュクなんですよ。
Jessica Prattって誰よ....と検索したら、私のブログがヒット。(笑
2008年末のチューリヒの《ルチア》でモシュクが風邪を引いた時に代役で歌ったソプラノなんですよ。1979年ブリストル生まれだそうです。

モシュクは、3月にはまたグリゴーロと《ホフマン物語》ですが、4役歌うことになっています。メトの《ホフマン物語》では、ネトレプコが4役歌うはずだったのに、結局、アントニアしか歌いませんでした....悪漢は4役歌うのが当たり前のようになっていますが、ソプラノが4役歌うのは、けっこう大変なんですね。
また、ついでにご覧になるチャンスがあることを期待しています。

ミキエレットの演出舞台のチームは来年新国でコジ・ファン・トゥッテの演出をするようです。
by keyaki (2010-01-05 18:41) 

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