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ヴォーグ"Opera’s Rising Star: Vittorio Grigolo” ☆ハンブルクのAbendblatt:甘いものが欲しい 疲れちゃったんで [インタビュー&記事]

 月刊誌『ヴォーグ』の文化・音楽のページに"Opera’s Rising Star: Vittorio Grigolo”という記事が掲載されました。右の写真から本文にリンクしています。《ボエーム》がはじまる数時間前の楽屋でのインタビューです。女性向けファッション雑誌ですから、ニューヨークタイムズのマイケル・ホワイト氏をむっとさせた「インタビュー、とにかく多いんです.....うんざりだ・・疲れてるし・・」なんてこともなかった様子で、グリゴーロもリラックスしていてご機嫌だったようです。

 もう一つ、面白いインタビュー記事 "疲れたから、甘いものが欲しい Ich brauche Süßes, ich fühle mich schwach"がありました。グリゴーロは、9月末にソニーからオペラアリア集"The Italian Tenor"のCDアルバムを発売しましたので、そのプロモーションツァーで、来年2011年1月から3月かけてドイツ(ドルトムント、ハンブルグ、ミュンヘン、ベルリン)とスイス(チューリヒ、ベルン)をまわります。ハンブルグでそのための打合せでもあったのでしょうか、ホテルのロビーで待ち合わせてのインタビューだったようです。この後、ロンドンでテレビ収録がある....と書かれていますから、9月15日のインタビューだと思います。9月4、5日はマントヴァで衛星中継された《再現リゴレット》、9日にはスイスのルガーノでコンサートでしたし、確かにくたくただったんでしょう。

Vittorio Grigolo
「疲れたから、甘いものが欲しい」
Von Verena Fischer-Zernin/20. Oktober 2010

若いイタリア人テノール、ヴィットリオ・グリゴーロは、ベルカントの天空に輝く、美しい新星だ。彼はモデルのように見えるが、歌うこともできる。

ハンブルグ。
テノールはまだ街をぶらついているのか。ヴィットリオ・グリゴーロがやっとホテルのロビーに現れたときには、貴重なインタビューの時間は10 分終わっていた。黒い巻き毛と特徴的な茶色の目。顔色が悪いだけでなく、ローマのジャニコロの噴水の前で撮った広告写真みたいな憧れのラテンの恋人という感じではない。上の空という感じの握手のあと、グリゴーロは革製のソファーに崩れ落ちた。まだ15分ある。だが、最初の質問に対して、彼はちょっと苦しそうな表情でささやいた。「もうちょっと待てませんか。何か甘いものが欲しいんです。疲れちゃったんで」

ヴィットリオ・グリゴーロの発売されたばかりのデビューCD"The Italian Tenor"について、批評は全員一致で"Habemus tenorem!"(絶対聴くべきテノールだ!)と歓声をあげた。33歳の彼は、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニからの抜粋を、 Nordwestdeutsche Philharmonieと2011年1月15日にハンブルグのコンサートホール、ライスハレLaeiszhalleで歌う。ロンドンのコヴェントガーデンにロランド・ビラゾンの代役でアンナ・ネトレプコの相手役、マスネの「マノン」にデ・グリュー役でデビューして、オペラ、特にベルカントのトップにたっている。

何はともあれ全世界のファンたちは歌う神を必要としている。なにしろ、あのビラゾンの輝かしい復帰がない限り、オリンポスのテノール席は空席のままなのだ。グリゴーロは世界の主要劇場に出演している。今はニューヨークのメトロポリタンオペラでラ・ボエームを歌っている。来年はソプラノのニーノ・マチャイゼとミラノのスカラ座でグノーのロメオとジュリエットのタイトルロールで客演する。

こういうキャリアの人物のプロモーションツアーというわけだ。ハンブルグのホテルで、チーズケーキを食べているうちに、日の出の勢いの、天空で輝くテノール星は少し舌が滑らかになった。「私はすでに多くを達成しました。それを誇りに思っています」と、明らかにイタリア語的に響く英語で言った。虚空を見つめて、リズミカルに話す。すでにたくさんのマイクの前でしゃべったことがあるといった感じだ。「音楽に対する情熱を存分に示すつもりです。人々に示したいと思っています。過去、現在、未来のヴィットリオを。全ての感覚を総動員して」

グリゴーロが歌うのに耳を傾ければ、舞台で評価されている演劇的センスがあるということがわかる。明確な発音、輝かしい響き、豊かな声量。しかし高音ではその色彩感と表現のニュアンスは多少制限される。とても強く歌うところではヴィブラートが強い。繊細な弱音のときは中音域が空疎だ。ハイCは、安定していることが多いが、楽々やっているという感じではない。しかし、いずれ、できるようになるのは間違いない。

「声は、身体同様、常に確実に変化している」とグリゴーロは言う。話の途中で録音機材をつかんだ、彼の口調は熱を帯びてくる。「今ヴェルディのトロバトーレのマンリーコのアリアを歌うことが出来ます。一日なら、この役を全部やるエネルギーがあるかもしれない。声が正しい方向に発達しさえすれば」彼は生涯の先生であるダニロ・リゴーサと熱心に勉強している。ヨガをやっている。エネルギーを巧みに分割しなければなりません。自分にいつ休息が必要か、わかっています」

ヴィットリオ・グリゴーロには人生の第二プランは存在しなかった。トスカーナ地方のアレッツォで生まれてローマで育った幼いときからすでに彼は承知していた。将来は「三大テノール」と同じようになるんだと。家族と一緒にカセットで彼らの歌を聴いていた。「家族みんなが、お前は歌手になるんだと、いつも言っていました。皆が私を信じていました。母は私のためにとにかくなんでもやってくれました」

ヴィットリオ・グリゴーロは今もローマの母の家に住んでいるはずという、類型化されたイタリア人像から逸脱している。そんな紋切り型の予想は大はずれ。彼は、アメリカ人の妻とチューリッヒで暮らしている。しかし、音楽への関わり方は、イタリア人的で、屈託がないし、思い悩んだりはしない。小心翼々の歌手仲間は、ねたましさで青くなるしかない。資料研究は縁がない。フレージングも発声も彼にとっては人生経験の問題だ。「33歳として、愛に関しては十分な経験があります。愛は歌うための理由であり同時に目的です。愛こそが、私のインスピレーションの源泉(資料)です。ベルカントオペラのテノールはほとんどが、若いだけでなく、恋する男を体現しなくてはいけません」

アルマーニなどのモデルをやろうと考えたことがあるかという質問は、グリゴーロを面食らわせた。「いいえ。それはできないと思います。でも、やってみるのもいいかも。アルマーニは気に入ってます」このときには、革製ソファーの背もたれに両腕を広げて、アイコンタクトを繰り返し、演説に没頭。すでに空港へ行くタクシーがホテルの玄関に横付けになっていた。「僕の新しい下着コレクションを発表するときに、また来てください」と別れ際に叫んで笑った。翌朝、グリゴーロは、ロンドンで、もちろん歌手として、テレビに出演する。メリーゴーランドは回り続ける。

ヴィットリオ・グリゴーロは2011年1月15日20時、Laeiszhalleで歌う。チケット発売中。(以上、同好の知人訳)

メモ:左上写真:ジャニコロの丘のそばにある「Fontana d'Acqua Paola(アクア・パオーラの噴水)

ドイツ国内3カ所だったコンサートが、次々増えて、今のところ6公演になっています。チューリヒの《ノルマ》をキャンセルしたのは、このツァーのためで、コヴェントガーデンの《ウェルテル》は関係ないのかなぁ......
ハンブルグでは2005年に《リゴレット》に出演、好評だったようです。

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