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僕のアリアを聞かせてあげよう.......ボチェッリやワトソンとは一線を画す [インタビュー&記事]

ポップ系CDアルバム発売後のインタビュー。ヴィットリオ・グリゴーロの持論をいろいろ語っています。

僕のアリアを聞かせてあげよう
ポペラ(Popera)歌手、ヴィットリオ・グリゴーロはイギリスのチャートのトップになったあの三大テノールの最新版である。私、リチャード・オーエンはローマのレストランで会った。(The Times 2006.5.4)

 ローマのレストランで、女性の心を奪ったアルバムチャートの今もっとも新しいテノールの真っ正面に座っている。イギリス中の大勢の人々が、大半は女性だが、この場所に座りたいと思っているに違いない。

 彼は、 In The Hands of Loveによって、他の二人のクロスオーバーテノール、ラッセル・ワトソンとアンドレア・ボチェッリと共にトップテン入りした。そして、彼ら同様、その声だけではなく、その外見をも売り物にしている。

 三大テノール、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスとの比較は避けられない。三大テノールの後継者たちは皆そうだが、彼もオペラをポップスと混合した。グリゴーロは、彼とワトソンとボチェッリが新しい三大テノールだという考えを認めたがらないが、グリゴーロが自信をもってポペラと言っているものは、フュージョン(融合物)である。

 弱冠28歳。好きなものは、ジーンズとトレーナー(彼と会った時はポップスタイルのビデオ撮りが終わった直後で、皮のジャケットを着て気分転換中だった)、ジュエリー、モーターバイク、当然ながらポップミュージックだと公言する。自分はオペラを「エリートの芸術」にしておきたくないと望む新世代に属しているのだと、彼は言う。

 オペラ評論家たちは当然批判しようと待ち構えている。BBC音楽雑誌の編集者オリバー・コンディはこう言った。「人々はオペラを聴いていると思わせられているが、あれは偽物だ。こういうものが好きな人々はグラインドボーンへ行きたいとは思わない」

 グリゴーロは冷笑的に反論。「単なる受け狙いで、サウンドをミックスするなら、それはオペラをだめにすることだ。しかし、同じ発声技術と同じ音色と響きを使えば、これまでオペラを聞いたことがない人々をオペラに近づける。」

 100%納得できる論証ではないが、そこはレストランの良さ、ロッシーニからバーンスタイン(マリアは彼のアルバムの最後の歌だ)へと苦もなく移動しながら、歌いながら、その要点を説明してくれた。即興演奏が終わったときには、そこにいた会食仲間が自然に拍手喝采していた。

 彼が勉強してきたことは疑いようがない。8歳でシスティーナ礼拝堂聖歌隊で歌い始めた。そのとき、生まれ故郷のアレッツォからローマに家族共々引っ越した。「ローマ教皇の合唱団長、ドメニコ・バルトルッチ枢機卿が言ったのを覚えています。『ヴィットリオ、君は運転手のいない美しいフェラーリのようなものだ』 10年後、僕がデビューしたとき、聴きにきてくれました。そのとき、父に言ったそうです。『ああ、ついに運転手が見つかったんだね』って」

 グリゴーロの父、レミージョは今68歳で、おじのエモと同じようにテノールだった。どちらも歌を職業にはしなかった(1950年代や1960年代にはだれも歌を職業にしようなんて考えもしなかった)グリゴーロは、パドヴァの教会でのロッシーニの小ミサでデビューし、23歳のとき、リッカルド・ムーティのピアノ伴奏によるスカラ座でのコンサートで、ヴェルディのアリアを歌った。スカラ座では《ウエストサイド・ストーリー》も歌っている。この時から、伝統主義者にとってはぞっとすることだが、ポピュラーのレパートリーへとより踏み込んでいくことになる。

 In The Hands of Loveは大半がセンチメンタルなラブソングで構成されている。スティーヴィー・ワンダーやキーンのヒットソングのイタリア語バージョン、セリーヌ・ディオンやエルトン・ジョンと共に仕事をしているイタリア人作曲家ロマーノ・ムスマーラの歌などが含まれている。明日、BBCでアルバムの宣伝をすることになっている。母の日の直前だ。彼はそれで?というように私を見た。「イギリスではイタリアや他のどこよりも大きな愛を感じています。イギリスの養子のような気がしています。人気は勝ち取るものではなく、与えられるものです」

 グリゴーロはレコーディングとツアーの契約で、オペラを継続することを認めさせることにこだわった。サイモン・コーウェルによって集められたポップ=オペラグループ、イル・ディーヴォへの参加の申し入れを断った。オペラのテノール歌手としての彼の将来を危うくするとの懸念があったからだ。

 今ちょうどバルセロナでのオテロのカッシオ役が終わったところだ。10月にはヴァレンシアでボエームの予定だ。(※この後、オランダ、オーストラリア、アメリカでアルバム発売となったので《ボエーム》はキャンセルせざるを得なかったようだ。オペラには、2007年4月の《椿姫》まで出演していない)

 13歳のとき偉大なルチアーノと共演して以来パヴァロッティーノと呼ばれてきて、パヴァロッティと比べられるのは、彼を喜ばせているのだろうか、それとも、うんざりさせているのだろうか。「マエストロと比べられるのは名誉なことですが、彼の40年の歌唱歴に比べれば、僕はまだたったの10年です」

 グリゴーロはまだコヴェントガーデンで歌っていない。「是非歌いたいです」と彼は身を乗り出した。「コヴェントガーデンでボエームのロドルフォをぜひとも歌いたいと伝えてください。ただでやります。少なくとも最初の公演は。」と言って姿勢を戻した。

 今現在、グリゴーロはその若さで、本物のオペラをやりながら一方で、商業的な成功の果実を享受しつつ、二つの仕事をりっぱにやってのけているようだ。しかし、最終的には選択を迫られることになるかもしれない。
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ポップテノールに必要なものは何か。
★ヴィットリオ・グリゴーロ:
ローマ、バチカンの"Scuola Puerorum della Cappella Sistina"で5年間音楽を学んだ。
★アンドレア・ボチェッリ:
法律の学位を取って、ちょっとの間、弁護士だった。ルチアーノ・ベッタリーニと彼の憧れのヒーロー、フランコ・コレッリのレッスンを受けた。
★ラッセル・ワトソン:
クラシックのトレーニングは受けていない。労働者階級の息子ワトソンは、最初にパブとクラブを巡回して歌うことに情熱を注いだ。



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rosina

この3人の中で、グリゴーロ君だけが地の利(イタリアに産まれ育った)と、オペラ歌手に相応しい素質(声、五体満足等)の両方を兼ね備えていると言う点で、この3人を一緒にするのはやっぱりどうかと思います。

ボッチェリの場合、問題なのは持って生まれた声がオペラには不向きな事(量とか)、視覚障害は決定的にオペラ出演には大障害ですよね。

そして、ワトソンの場合は『オペラ文化』の無い国に産まれ、自己流で歌ってここまで来てしまった事がオペラ歌手と呼ぶのは。彼が仮にイタリアに産まれ育っていたとしたら、良い声で素質がある子供/若者は周りが放っておかないから、とっくの昔にスカウトされて訓練を受け、今頃はオペラを歌っているかもしれませんからね。
by rosina (2008-08-30 03:04) 

keyaki

rosinaさんの分析、さすがです。私もおっしゃる通りだとおもいます。
ラッセル・ワトソンは、オペラの舞台に立つなんて野望はないでしょうからいいとして、ボチェッリのオペラ熱はなんなんでしょうね。
また、どこかでカヴァレリアをやるようですが、演奏会形式だとしても同じことでしょうに......

>視覚障害は決定的にオペラ出演には大障害ですよね
大障害どころか、私は、やるべきではないとおもいます。ボチェッリをここまで有名にしたマネージャー氏によれば、彼を受け入れる劇場側のスタッフ、共演者は本当に大変なんだそうです。
このマネージャー氏が、ボチェッリの元を去ったのは、彼のオペラの舞台に対する執念についていけなくなったようです。ボチェッリって、私が把握している以上にオペラの舞台に立ってるんですよ。なんとボローニャでもウェルテルを歌っていますが、その時の批評は、彼以外はよかった...というものだったようです。
なんか裸の王様状態ですよね。曲がりなりにも主役で舞台に立てるのは、盲目だからなのに....
で、この敏腕マネージャー氏が、2007年6月からグリゴーロ君のマネージャーになってるんですよ。
過去にドミンゴとパヴァロッティが、マネージャーを取った取られたという騒ぎもあったようですが、これは、グリゴーロ君が引き抜いたわけではないので、念のため。
by keyaki (2008-08-30 12:58) 

rosina

>ルチアーノ・ベッタリーニ

は、かつてバスティアニーニに、バスからバリトンへ移行する事を奨めた教師だそうです。ボッチェリの場合は環境的にはイタリア人だから恵まれていますね。

でもそれが、本人に『オペラも歌えるはず/歌いたい』と言う誤解を抱かせてしまっているのかも・・・。それに周りが合わせているのも、おっしゃる通り、彼が盲目のポップスターだからでしょう。

英国と一括りに言っても、中流階級以上は情操教育も盛んで、それこそ夏になると家族で『グラインドボーンへ』なんて言う人達もいます。ワトソンがオペラの舞台に立たないのは、ワトソン自身も含めた労働者階級/下層階級の人々には、ラジオ等で聞くオペラアリア=3大テノール式のコンサート・ナンバーと言う認識が強いからでしょうね。だから、きちんとした声楽の訓練を受けなくても歌えると錯覚してしまうんでしょう。

英国には彼以外にも、ジェンキンス等、いわゆるとても声の良い歌謡曲の歌手がコンサートでマイクを使ってオペラ・アリアを歌う為に、『オペラ歌手』とみなされている例がありますよね。
http://welovekatherinejenkins.blogspot.com/2007/10/juan-diego-florez-in-concert.html

>グリゴーロは、彼とワトソンとボチェッリが新しい三大テノールだという考えを認めたがらない

私も認めません。この3人の中で、オペラティック・テノールと呼べるのはグリゴーロ君だけですから。



by rosina (2008-08-30 22:53) 

euridice

ヴォルフガング・ワーグナーが、P.ホフマンの伝記(2003年刊)に寄せた序文にこんな一節があります。

「1983年にペーター・ホフマンのレコード「ロック・クラシック」が発売されたとき、当然議論がまき起った。それはオペラ界に限ったことではなかった。私は個人的に、ホフマンに、クラシック以外の音楽とのかかわりに対して警告したことも忠告したこともない。常に陰から、彼のポップスへの寄り道を擁護していた。

このレコードの成功の波は、ホフマンを突然、3分の2のポップス活動へとひっさらっていき、専門分野であるクラシック活動は3分の1になったが、時期的にうまく配分すれば、問題はなかった。オペラ歌手がポップスを歌うことは、当時はセンセーショナルなことだった。確かに彼は、ポップスを歌うための前提条件を充たしていた。彼のポップスは、非常に優れた歌唱による高尚なものだった。しかし、このようなポップスは、いわゆる娯楽音楽界では、それほどまじめに受け止められなかったし、注目もされなかった。それは、まさに歌唱の質の高さが原因だ。

他方、クラシック界は、ポップスを『どうしようもない息子』と見なし、トリスタンを歌える者ならば、まさかポップスなどやるはずもないとの意見で一致していた。ところが、ホフマンはそれをやり、音楽的に人々を魅了し、両分野で著しい成功をおさめた。」
by euridice (2008-08-31 07:42) 

keyaki

rosinaさん
リンク先見てきました。これってイギリス人お得意のジョークとしか思えません。ここまでくるとクロスオーバー(オペラ歌手でもないのにアリアを歌う)って、無教養な人たちの音楽としか言えないじゃないですか。グリゴーロ君が、僕のはクロスオーバーじゃないというのも当然ですね。

ボチェッリの一部のファンは、グリゴーロだけが本物のオペラ歌手と言われるのが、面白くないみたいですけど、ハンディーをものともせず舞台に立ったから本物のオペラ歌手とは言えないし、著名なマエストロの教えを受けたことと実力は別ものですし....
アメリカのオペラフォーラムでも、「ボチェッリだって本物のオペラ歌手だ!」と言った人は、結局やぶ蛇状態になってました。

しかし、えてして世の中、こういう無知蒙昧な人が強いのよね、反論するのもバカバカしいということになっちゃうんですよね。こんなことを言われていると知ったらフローレスも吃驚でしょうね。
by keyaki (2008-09-01 15:03) 

keyaki

euridiceさん
身体は一つで、時間は限られているわけですから、両立は大変だと思います。この記事の筆者も
>今現在、グリゴーロはその若さで、本物のオペラをやりながら一方で、商業的な成功の果実を享受しつつ、二つの仕事をりっぱにやってのけているようだ。しかし、最終的には選択を迫られることになるかもしれない。

と書いてますが、年間オペラ3本というのは、売れているオペラ歌手の半分ですけど、ほとんどプレミエですから、リハーサル期間も長いですし、今は若さで突っ走っているようですが...どうなることやらですね。
by keyaki (2008-09-01 15:12) 

rosina

ご存知かもしれませんが、以前フローレスは英国音楽雑誌で、ワトソンとの対談をやっています。そこでも同様の平行線を辿る議論が続いていました。しかし、フローレスに何が何でも持論(オペラは歌劇場内で聴くエリートだけのものではない、自分はオペラを普通の人々にも広める意義ある仕事をしている、クラシック音楽家は二言目には『素人のくせに』と自分たちの教育の高さを持ち出して鼻持ちならない等、労働者階級の劣等感丸出し)を認めさせたくて必死の(そして鼻息荒過ぎて見苦しい)ワトソンに対し、フローレスの方はあくまでも冷静で『自分もポップスは好きだし(若い頃はロックバンドもやっていたとか)、ちょっと前にはラテン民謡のアルバムも出した。でもそれとオペラとは違うジャンルの音楽である。そしてオペラはオペラであり続けなければならない』と言っています。


by rosina (2008-09-01 16:53) 

keyaki

rosinaさん
どういう趣旨の対談なのか分かりませんが、フローレスもなんか災難ですね。ワトソンは、自分が本物のオペラ歌手並かそれ以上と思っているってことですね。
ワトソンのやり方だとかえって悪影響が出てますよね。リンク先のアホな記事のような。あんな記事にフローレスの写真を使って欲しくないですね。

>オペラはオペラであり続けなければならない
グリゴーロもそれははっきり言ってますね。伝統文化を守るって。
自分の訓練された歌唱技術で歌ったポップスで若い人たちを惹き付けて、その人たちが歌劇場に足を運んでくれることを願っているわけですから。
by keyaki (2008-09-01 21:35) 

euridice

>それとオペラとは違うジャンルの音楽である。そしてオペラはオペラであり続けなければならない

P.ホフマンもそうですが、オペラ歌手が他のジャンルを歌う場合の考えはこういうことですね。すべて同等の価値のある音楽ではあるけど、全く別のものだと考えているのです。

以下、伝記(2003年)からの抜粋です。
「二つになった仕事は、厳密に区別するべきだという立場を堅持」
「私はオペラが大好きだが、ロック・ミュージックは楽しい」
「クラシック音楽とポピュラー音楽の両方をやるなら、両者を厳格に区別するべきだ」
「二種類の音楽を混ぜ合わせたいとは思わない。私はそのときどきの『二つの仕事』に、つまり、そのときにたずさわっている方にいつも完全に没頭している」
by euridice (2008-09-02 08:05) 

keyaki

euridiceさん
区別して、それぞれの価値を認めるってことですが、これができない人ってけっこういますね。たとえば男と女。差別と区別がわからない人多いですよ。

グリゴーロ君言うところのここですね。
>「単なる受け狙いで、サウンドをミックスするなら、それはオペラをだめにすることだ。しかし、同じ発声技術と同じ音色と響きを使えば、これまでオペラを聞いたことがない人々をオペラに近づける。」

>単なる受け狙いで、サウンドをミックスするなら、それはオペラをだめにすることだ
これがワトソンやポッツのしていること。

>同じ発声技術と同じ音色と響きを使えば、これまでオペラを聞いたことがない人々をオペラに近づける
つまり、グリゴーロ君は、オペラの発声技術とか音色と響きを使って、オペラじゃないものを歌えば、オペラの魅力に目覚めて、劇場に足を運んでくれることを期待してるわけですね。それにデブが汗かいて走り回るのがオペラだ、と思っている人もいるので、僕みたいなのもいるよ、という宣伝にもなるし....

ワトソンが
>自分はオペラを普通の人々にも広める意義ある仕事をしている
これは詭弁だし、自己弁護としか言えませんね。現に、rosinaさんご紹介のリンク先の人みたいなのが出現してますもの。

それにしても、時代が違うというだけで、ホフマンと同じ考えで同じような行動をしていますよね。
by keyaki (2008-09-02 09:16) 

euridice

>ジョーク
rosinaさんのリンク先、びっくりしました。
マジでもジョークでも、どちらにしてもスゴイです・・
キャサリン・ジェンキンスのファンですって。

キャサリン・ジェンキンスって名前しか知らなかったんですが
大御所的なポピュラー歌手って感じなので、検索してみましたら、
まだまだお若い人じゃありませんか・・う〜〜〜ん???


by euridice (2008-09-02 20:59) 

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