SSブログ

カリスマって何? クラシック音楽とオペラについて......ニューヨークタイムズ(2011.8.17) [インタビュー&記事]

 The New York Timesの興味深いコラムを見つけました。ヴィットリオ・グリゴーロについての記事ではありませんが、当然ながら"Vittoio Grigolo"の検索でヒットした記事ですから、グリゴーロについてもちょっと書いてあります。タイトルは、"Gift From the Musical Gods" ZACHARY WOOLFE氏のコラムで、内容は、"What Is Charisma?" クラシック音楽とオペラのアーティストのカリスマについての見解が述べられています。グリゴーロはカリスマ・テノールの代表みたいです。

 『カリスマは、年齢によって得られるものではなく、16才でも60才でもカリスマはカリスマなのです。厳しい訓練は、カリスマに磨きをかけることができますが、カリスマは、努力で得られるものではありません。昨年、プッチーニの「ボエーム」でメトデビューした、若いテノール、ヴィットリオ・グリゴーロは、今なお、舞台で発展し続けているが、彼のカリスマは間違いようのないものです。』

 『カリスマは、妙技とか知性とか洞察力とかではありません。クリスチャン・テツラフ(Christian Tetzlaff, 1966.4.24 - )は、技術的に完璧なバイオリン奏者だが、彼にはカリスマがありません。ジョシュア・ベル(Joshua Bell, 1967.12.9 - )(写真右下)は技術的にはあまり斬新とは言えないが、カリスマがあります。

グリゴーロはカリスマがある。ピョートル・ベチャラは、グリゴーロよりはるかにエレガントだし、熟練したテノールだが、カリスマがありません。カリスマがあって欲しいと思う芸術家にカリスマがあるとは限らないのがこういう芸術に失望する要素のひとつです。』

 筆者はベチャラがお好きなようで、グリゴーロよりエレガントというのには賛成できませんが、ピョートル・ベチャラにカリスマがないことには同感です。ポプラフスカヤについても面白い見解が書かれています。私から見れば、声もよくないし、下手くそなのになぜか大劇場で重宝されていますが、カリスマがあるのでなんとかなっているということなんでしょうか。興味のある方は、全文こちらです。

 カリスマという何か得体の知れない人を惹き付ける魅力のあるアーティストを嫌う傾向があるのも面白いです......これは一種の嫉妬でしょうね。継続は力.....とか、努力すれば....とかを信奉している人にとって、カリスマって許せないみたいです。そういえば、ベチャラは、他の記事でも「カリスマがない」って言われてました。もちろん「カリスマ」のないのがほとんどなんですけど......ずっと前に紹介したマヌエル・ブルックManuel Brug氏の記事でも書かれています。
 『ビラゾンの休業で漁夫の利を得たのが、マルタ人のヨゼフ・カレヤとかポーランド人のピヨトル・ベチャラのような二番手のなかなか良い歌手だ。もちろん声はすばらしいのだが、彼らには舞台でのカリスマ性がない。』全文はこちら

nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 6

euridice

興味深い記事ですね。

ホフマンのバイオグラフィにも「カリスマ」に関する言及が複数あります。
例えば、本人曰く「最悪の場合、歌手としての技量と、カリスマ的魅力は、相反しており、最良の場合は両者が互いに助け合って相乗効果が生じる」とか、ジェス・トーマスについて、特に手本にしたいと言えることを一つ挙げるなら、それは舞台において強烈な輝きを放つその存在感、すなわち、カリスマ性である」

指揮者のレヴァイン曰く「彼はすばらしい声と強烈な劇的作用を引き起こすカリスマ性を持った感受性豊かな音楽家である・・」

バイオグラフィ(1983年)の著者曰く「オペラの登場人物と観客の現実との乖離が、オペラという音楽ジャンルが拒絶される理由であることが多いのですが、P.ホフマンのオペラへの決定的な貢献のひとつは、その演技とカリスマ性によってこの距離をうめることに成功したことでした」

マリア女史曰く「「ペーター・ホフマンは度々マスコミにおいて激しい議論を巻き起こした。その成功の華々しさとその輝かしいカリスマが、時に過剰にジャーナリスティックな表現を誘発した・・」


by euridice (2011-08-22 19:46) 

keyaki

euridiceさん
英語なので正しく理解しているかどうか分かりませんが、この筆者さんは、カリスマ性で未熟さを補っているみたいに言っているように思えますが、ことクラシックとかオペラに関しては、再現芸術なんでテクニックがなければ受け入れられない世界であって、カリスマはあくまでプラスアルファですよね。カリスマだけのアーティストなんて存在できないですよ。ポップ系音楽はそれも可能ですが。

グリゴーロはさしずめ、イタオペ界のペーター・ホフマンと言えますね。いろんな面で共通点があります。

>「ペーター・ホフマンは度々マスコミにおいて激しい議論を巻き起こした。その成功の華々しさとその輝かしいカリスマが、時に過剰にジャーナリスティックな表現を誘発した・・」
こういうところもなんか似てます....

by keyaki (2011-08-23 09:43) 

euridice

日本語で言えば、「華」でしょうか。見てもらう、聴いてもらうという職業って、技能+華 が不可欠でしょうが、その割合はいろいろということなんでしょう。クラシック音楽の場合、華はゼロでもやれそうですけど、一定以上の技能が不可欠でしょうね。ポップ系音楽は華がないと全然だめかも。
by euridice (2011-08-23 09:55) 

keyaki

euridiceさん
>ポップ系音楽は華がないと全然だめかも。
そう、そう、ホフマンも非クラシックでも大成功をおさめていますし、グリゴーロもそうですよね。
それがクラシック純粋主義者にとっては面白くないってことですね。無視すればいいのにそれもできなくて、妙な反応をしますね。
by keyaki (2011-08-23 10:07) 

Sardanapalus

非常に熱の入った面白い記事でした!ご紹介ありがとうございます。個人的には、カリスマのありすぎるスターたちの熱心なファンになることはほとんどないのですが、舞台やコンサートを見に行ってああいうオーラというか、はっと目を向けさせられる「何か」に圧倒される体験は病み付きになります。記者は、カリスマ性のある芸術家に魅力を感じながら、「なぜ惹かれるのか」が定義できないことが気になるようですね。私なんかは、まあそんな難しいこと考えず純粋にこの時間を楽しみましょう、って言いたくなりますけどね。

>ポプラフスカヤについて
この部分だけ、ちょっとひっかかるんですよね(笑)彼女にカリスマが全く無いとは言いませんが、それ以上に「どう見せるか」という演技が上手いのだと思います。この記者が言うほどカリスマがあれば、もう舞台に出てくるだけで「客席の温度が上がる」はずです。たとえばフレミングとかゲオルギューにはそういうカリスマ性がありますけど…ねえ。
by Sardanapalus (2011-08-26 19:29) 

keyaki

Sardanapalusさん
努力しても手に入らないものを持っている人の存在って、私たち一般人には、ちょっと理解できないですよね。まあ、それがカリスマなんでしょうけど。
私もポプラフスカヤとカリスマはぜんぜん結びつかないので、えぇ..でした。
by keyaki (2011-08-27 11:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0