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ヴィットリオ・グリゴーロのカッシオ・ハイライト(3) & カーテンコール [オテロ]

『たくましい身体と最高にフレッシュな声のカッシオ、ヴィットリオ・グリゴーロは、最良の発声と魅力的な響き(音色)によってこの役の可能性をすべて引き出した。......2006.3 L'operaレビュー』
*写真をクリックするとビデオクリップにリンクしています。

3幕:ヴェネツィアの使節ロドヴィーゴが、本国の総督からの書簡を手渡す......


4幕:ついにオテロはデズデーモナを殺してしまう.....+カーテンコール

※参考Otello libretto  スコア
★一連のカッシオ登場場面は、YouTubeの《オテロ》再生リストから視聴できます。

以上でカッシオの出番すべて網羅しました。それにしてもカッシオでこれだけ楽しませてくれる歌手がいるんですね。

 『"オテロ"では、オテロの嫉妬を掻き立てるためにイヤーゴに使われる若い士官....カッシオはオテロに疑いを抱かせるほどの若い美男でなくてはならない。私のイメージするカッシオはおそらくデズデーモナの幼馴染みの若いヴェネツィア貴族だ。だからこそ彼女は彼を何度も必死でかばい、夫に最悪の妄想を抱かせるのだ。デズデーモナとカッシオのような上流階級の若く呑気なヴェネツィア人たちは、かなり簡単に肉体関係を結んだであろう。冗談や遊びの感覚が強く、彼らにとっては何でもない。しかし完全にキリスト教の教育を受けたオテロにとっては、それは堪え難いことだった。....』ゼッフィレッリ自伝から引用

 演出のヴィリー・デッカーのイメージも似たり寄ったりではないかと思います。ゼッフィレッリも実際のオペラの舞台では、自分のイメージするカッシオは所詮無理...とあきらめていましたが、映画だったら、脇役なら「吹き替え」も許される、というか当たり前の手法ということで、映画版《オテロ》では、カッシオは俳優が演じた...というわけです。オペラは、他の舞台芸術と異なり、歌えなきゃお呼びじゃない....容姿に難ありでも目をつぶるしかない....キャラクターずれはしかたがない....というジレンマがついてまわるわけですが、歌唱面も身体面も両立したオペラ歌手が演じてくれると見ている方は、雑念なくオペラに没頭できます。この《オテロ》でヴィリー・デッカーは、グリゴーロの魅力を最大限に生かす演出をしていると思います。

関連記事:クーラ主演《オテロ》のカッシオ
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コメント 2

ペーターのファンです。

カーテンコールの表情が良いですねえ。会心の笑顔で絵になること。クーラのオテロはじめ、このプロダクションは素晴らしいと思います。演出にも歌手にも人を得ると
オペラはこんなに魅力ある舞台になるという見本のようです。
by ペーターのファンです。 (2009-04-25 22:40) 

keyaki

ペーターのファンさん
平均年齢の若い歌手たちの舞台衣裳は、こういうすっきり系がいいですね。
この舞台は傾斜がかなりきつくて歌手たちは苦労したようです。普通の舞台の倍は疲れるでしょうね。それに、ヴィリー・デッカーは、歌手を走らせたりするのが好きなんだそうです。
カーテンコールは、走って出て来て、すぐに後ろに引っ込んじゃうんで、この正面はほんの一瞬なんですよ。
by keyaki (2009-04-27 13:38) 

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